鮭と人、燃える水、城下町、そして有機×スマート農業。 ──県北で学ぶ「資源を循環させ、未来へつなぐ人々の力」

新潟県北部に位置する村上・新発田エリアは、江戸時代の城下町の面影を色濃く残す、歴史情緒あふれる地域です。一方で、豊かな自然環境を生かし、稲作をはじめとする一次産業も盛んに営まれています。


この地を治めた村上藩・新発田藩の武家文化や、豪農たちが築いた豊かな暮らし、そして村上に根付く独自の鮭文化。こうした多様な文化は、長い歴史の中で大切に受け継がれてきました。そこには、県北の人々が紡いできた、教科書だけでは学ぶことのできない「生きた歴史」があります。


本特集では、城下町の歴史探訪をはじめ、日本最古の油田と産業発展の足跡、さらには現代の持続可能な有機農業への挑戦など、過去から未来へと続く県北地域の多様な営みを紹介します。

鮭と人、燃える水、城下町、そして有機×スマート農業。 ──県北で学ぶ「資源を循環させ、未来へつなぐ人々の力」

鮭が紡ぐ村上の歴史と文化 食文化と地域資源の関係性を知る

県北の文化を知るために、まずは村上市へ。古くから「鮭のまち」 として知られ、 平安時代から鮭を献上品として朝廷に納めていた歴史があります。村上市庄内町〜小町坂周辺の「越後村上鮭塩引き街道」を歩くと、軒先に吊るされた塩引き鮭の風景を見ることができます(12月)。自然の恵みを大切にし、 厳しい冬を乗り越えてきた村上の人々の営みと文化を今に伝える、県北地域らしい風景のひとつといえます。

村上の鮭文化を学ぶなら「イヨボヤ会館」は欠かせない存在です。鮭をテーマに展示と学習が行われている拠点施設で、館内では、鮭の生態はもちろん、三面川(みおもてがわ)において、世界で初めて成功した鮭の自然ふ化増殖の歴史についても、わかりやすく紹介されています。


さらに、実際に使われていた漁舟の展示を通して伝統的な漁法を学べるほか、三面川の分流「種川」の中の様子を間近で観察することもできます。多角的な展示を通して、村上と鮭との深い関わりを体感できる施設です。

「イヨボヤとは村上の言葉で『鮭』のこと。はるか昔から鮭が遡上してくる地であった村上には、鮭文化が息づいています」と話すのは、館長の奥村さん。「イヨボヤ」の他にも、鮭にまつわる数多くの言葉が今なお使われているのだとか。多くの言葉が残っているということは、古くから村上の人々が鮭を大切にしてきた証でもあるのだといいます。

村上は、世界で初めて「自然ふ化増殖」を成し遂げた地としても知られています。その歴史は江戸時代にまでさかのぼります。村上藩士の青砥武平治(あおと・ぶへいじ)は、鮭が生まれた川に戻ってくる「母川回帰」の習性に着目し、三面川に人工の分流「種川(たねかわ)」を造成することを考案しました。優れた観察眼と、自然の仕組みを活かそうとする科学的発想の持ち主だった武平治は、サケが安全に産卵し、稚魚が育つ環境を人の手で支えながらも、あくまで自然の循環の中で増殖させる仕組みを構想したのです。


「残念ながら武平治は、種川の完成を見ることなく生涯を終えました。しかしその後、種川は無事に完成し、自然増殖は見事に成功を収めました。彼の考え出した種川造成とサケの保護増殖の取り組みは、現在もなお村上に引き継がれています」と奥村さんは話します。

館内には、現在も村上に伝わる多彩な鮭料理が展示されています。その種類の豊富さこそが、村上の人々と鮭との深い結びつきを物語っているのだと奥村さんは話します。「村上には、鮭を余すことなく使い切る伝統があります。実に100種類以上もの鮭料理があるんですよ」と奥村さん。


たとえば「なわた汁」。村上では鮭の内臓を「なわた」と呼びますが、この料理には、鮭を無駄にすることなく、そのすべてを大切にいただこうとする精神が息づいています。「人」と「鮭」、そして生命を育む「川」。それぞれの関わりに目を向けると、村上という土地に根づく文化や価値観が、より鮮明に浮かび上がってきます。

村上の中心部には、新潟県下で最も古い城下町の街並みが残る地区があります。「黒塀通り」は、城下町の暮らしの構造を探求するのにぴったり。時代の移り変わりとともに、古くからの街並みや景観が消えつつあることを危惧した有志が2004年に「むらかみ町屋再生プロジェクト」を発足。これまでに40軒以上もの町屋を再生させてきました。

村上の町屋は、美しい景観を形づくる存在であると同時に、城下町の暮らしそのものを今に伝える建物でもあります。奥行きのある間取りや間口の広さ、やわらかく差し込む光、通りに面した店の気配。そこには、当時の人々の生活の構造が色濃く息づいています。


一方で、こうした景観を再生・保全するプロセスには、地域の合意形成や資金の確保、担い手の存在、そして「これから誰がどのように使っていくのか」という未来への視点が欠かせません。実際にプロジェクトに関わる村上市民の方々の話を聞くことで、景観保全の具体的な取り組みや、その背景にある思いについて理解を深めることができます。

重要文化財・ 渡邉邸で学ぶ、 豪商農の暮らしと県北の文化

続いて訪れたのは、関川村です。「渡邉邸」は、江戸時代に酒造業や廻船業で財を成し、地域の開発と発展に尽力した豪商農・渡邉家の邸宅。約3,000坪にも及ぶ広大な敷地に建つ母屋は、国の重要文化財に指定されています。


まず目を引くのが、その堂々とした外観。屋根には「石置木羽葺(いしおきこばぶき)」と呼ばれる珍しい伝統工法が用いられています。これは、板葺きの屋根の上に石を置いて固定するという、雪国の知恵から生まれた素朴で合理的な技法です。1964年に発生した新潟地震の際にも、この石は落下することがなかったことから、いつしか「落ちない石」として知られるようになり、合格祈願のために訪れる受験生の姿も見られるのだそうです。

「日本建築の粋を集めた家屋と、その保護について考えるきっかけにしていただければ」。そう話すのは、渡邉邸保存会事務局長の稲家さん。大広間から眺める日本庭園や、 柱の根継ぎに見られる宮大工の卓越した技術など、 随所に日本文化の粋が凝縮されています。 文化財として保存‧ 活用されている現場を訪れることで、 伝統建築の素晴らしさと、 それを守り伝えることの意義を学ぶことができるといいます。

最盛期には、70人以上もの使用人が仕えていたという渡邉家。広大な玄関や、今も数多く残る部屋の一つひとつから、当時のにぎわいが伝わってきます。酒造業や廻船業によって蓄えた豊富な資金を背景に、渡邉家は現在でいう金融業にも進出していました。


「米沢藩には、総額10万両以上ともいわれる融資を行っていたと伝わっています。9代藩主・上杉鷹山公の藩政改革にも関わり、米沢藩より勘定奉行格の待遇を受けるまでになりました」と稲家さん。越後と米沢——国境(くにざかい)を越えて築かれたこうした関係性の背景には、どのような時代の要請や、人々の思いがあったのでしょうか。邸内を歩きながら、その歴史の広がりに思いを巡らせてみることで、学びが深まりそうです。

江戸時代中期、京都から遠州流の庭師を招いて造園されたと伝わる日本庭園です。

広大な庭園内には、県北と日本各地のつながりを感じるところがあります。庭をよく見ると、多種多様な石が配置されていることに気付かされます。京都の鞍馬石をはじめ、おもに関西地方から運び込まれたもの。廻船業を通じ、日本各地と繋がっていた渡邉家・県北の歴史を垣間見ることができます。

昔の大工さんたちの『遊び心』

「昔の大工さんたちの『遊び心』にもぜひ注目してほしい」と稲家さん。邸内には、鯉が型取られた木製のレリーフが埋め込まれているのだとか。探してみると、なかなかの難易度です。すべて見つけることができるでしょうか。他にも「柱の根継ぎは、どのような仕組みで作られているか」を考えさせるゲームが用意されているなど、教育旅行にもぴったりのスポットといえます。

シンクルトン記念公園が物語る、 日本最古の油田と地域発展

続いては、胎内(たいない)市へ。胎内市黒川地区(旧黒川村)は、 日本書紀に「燃える水(原油) を献上した」 という記録が残る、 古くから石油との関わりが深い地域です。 明治6年、この地を訪れた英国人技師シンクルトンは、 手掘りによる採油技術を伝え、 地域の産業発展に大きく貢献しました。


「はるか大昔に原油が発見され、それを守ってきた人々がいるという事実。石油にまつわる民具が今も残っています」そう話すのは、胎内市生涯学習課の伊東さん。「採油した油は、灯りとしてだけでなく、木材に塗布する防腐剤や、田んぼに撒いて虫除けに使われていました。胎内の人びとにとって、石油はそれほど身近なものだったのです」。

「シンクルトン記念公園」および隣接する記念館には、 当時の手掘り井戸の跡や、採掘施設模型など、資料の展示があります。いかに黒川の人々の生活に根付いていたものだったかを知ることができるほか、日本における石油産業の黎明期と、国境を越えた技術交流の歴史、 先人たちが海外の知見をどのように受け入れ、 地域資源を活かそうとしたのか、 その歴史を知ることができます。

黒川地区では毎年7月、日本書紀の記述をもとに「燃水祭」という祭事が開催されています。この祭りでは、「かぐま」と呼ばれる、シダを束ねた道具を使った独特の採油技法をみることができます。


「石油だけでなく、エネルギーにおける温故知新の取り組みを学ぶ、よい機会になるはずです」と伊東さん。胎内市は洋上風力発電などの新エネルギー開発にも取り組んでいます。石油という旧来から使用されているエネルギーと、風力発電などの新しいエネルギーとの比較検討を行いながら学習をすることもできます。

城下町に息づく歴史と文化を、 まち歩きで体感する

続いては、新発田(しばた)市へ。エリア有数の中核都市である新発田は、旧新発田藩の藩庁であった「新発田城」 を中心に発展した城下町です。 城下町の歴史を知ることは、 地域のアイデンティティを理解する第一歩。 新発田市観光ガイドボランティア協会に所属するガイドの案内のもと、「城下町新発田」の必見スポットを巡ることができます。徒歩圏内に歴史的建造物が点在する新発田ならではの体験です。

「あやめ城」の別名を持つ新発田城は、新発田を象徴する歴史的建造物のひとつです。現存する三階櫓(やぐら)や旧二の丸隅櫓、表門からは、往時の威容を今に伝える姿を間近に感じることができます。


「ぜひ表門をご覧ください。これが今も残っているのは、実はとても貴重なことなんです」

そう話してくれたのは、新発田市観光ガイドボランティア協会会長の大川戸さんです。新発田城がなぜ現在まで残されてきたのか、その背景について教えてくれました。


明治初期、廃藩置県にともない、全国各地で城郭の取り壊しが進められました。しかし、新発田城には歩兵第16連隊が移駐したため、解体を免れました。その後、新たに兵舎(現・白壁兵舎)が建設されたことにより、城は引き続き軍の施設として活用され、結果的に保全されることになったのです。

こうした経緯を知ることで、歴史的建造物が現在まで残されてきた意味や、現代へと続く時間のつながりを実感することができます。

新発田城の次は「清水園(旧新発田藩下屋敷)」へ。新発田藩主・溝口氏の下屋敷(現代でいう別邸・別荘)で、国指定名勝。幕府の御庭方・縣宗知(あがたそうち)作による、近江八景を取り入れた京風の回遊式庭園。「モデルとなったのは京都・西芳寺のお庭とも言われています。『苔寺』と称された西芳寺にも勝るとも劣らない、素敵なお庭だと思いますよ」と大川戸さん。


庭の美しさだけでなく、庭の「つくり」からも学びを得ることができます。「視線が切り替わる場所」「立ち止まらせる場所」「客を迎える順路」を探させ、庭園が単なる景観ではなく、場の権威・礼法・もてなしを支える装置である可能性を議論させることで、学びが深まります。

清水園の東側を流れる川を渡った先、すぐ隣に位置するのが「旧新発田藩足軽長屋」です。ここは、新発田藩の足軽たちが暮らしていた、茅葺き屋根の八軒長屋。幕末まで4棟存在していたうちの1棟が現在も保存されており、国の重要文化財に指定されています。「幕末の下級武士の生活を今に伝える長屋で、重要文化財に指定されている例は、全国的に見ても非常に珍しいものです」と大川戸さんは話します。


さらに、この場所に足軽長屋が建てられたことにも、新発田藩ならではの理由がありました。

「ここは旧会津街道の出入口にあたる場所です。足軽を居住させることで、有事の際にすぐ対応できるようにし、防衛の役割を担わせていました」。


こうした史跡を巡ると、武家社会の構造や庭園文化に息づく美意識、そして身分制度に基づく暮らしの違いが、より具体的に見えてきます。ただ建物を見学するだけでなく、そこに生きた人々の日常に思いを巡らせることで、城下町・新発田の歴史をより深く感じ取ることができるでしょう。

ロボット×有機農業 スマート農業が切り拓く 、 持続可能な未来

新発田市は、古くから稲作をはじめとする一次産業が盛んな地域として発展してきました。そして現在は、未来を見据えた「食」の取り組みでも注目を集めています。その中心にあるのが、「オーガニックSHIBATA」です。環境に配慮した有機農業を地域ぐるみで推進し、持続可能な農業の実現を目指しています。


さらに、学術機関との連携も進んでいます。長岡市の長岡技術科学大学(長岡技科大)の滝本祐也先生と協力し、IoTを活用したスマート農業の導入にも取り組んでおり、伝統と先端技術を融合させた新たな農業のかたちが模索されています。

有機農法は、化学的に合成された肥料や農薬を使わないため、環境にやさしく、信頼性の高い作物を生産できるという大きな利点があります。一方で、課題もあります。「農薬や除草剤を減らせば、その分、雑草はどうしても増えてしまいます。また、昨今の炎天下の田んぼでの除草作業は、体力的にも時間的にも農家さんにとって大きな負担になっているという現実があります」と滝本先生。


こうした課題を解決するため、滝本先生は農家と協力しながらスマート農業の導入を進めています。なかでも中心となっているのが、除草用ロボットの開発と研究。GPSによる高精度な制御技術を活用し、雑草をセンチメートル単位で特定し除去する「ピンポイント除草」の実現を目指して、開発が進められています。

滝本先生は、新発田市と共同で、おもに首都圏の高校生を対象にした「スタディーツーリズム」を開催するなど、フィールドワークを通じて地域を学ぶ学習プログラムを実施してきました。


参加者とともに実際に下越地方の農地を訪れ、有機農法・ロボットを用いたスマート農業を体験できる機会を提供しています。現地学習では、除草ロボットの仕組みや有機農法の考え方について、自ら説明・実演をおこない、理解を深めてもらっているとのことです。

除草ロボットの開発には、長岡技術科学大学の多様なリソースが最大限に活かされています。専門分野ごとの研究成果はもちろん、長年出場してきたロボットコンテスト(ロボコン)で培われた知見も応用。なかでも興味深いのは、浮力を得るための部材に、水泳で使う「ビート板」を採用している点です。浮力の確保と低コスト化を突き詰めていった結果、この意外な素材にたどり着いたといいます。

滝本先生が「とにかく前面に打ち出している」と繰り返し語るのが、「魅力ある農業」というキーワード。生徒たちに現地学習を通じて、農業への理解を深めてもらい「稲作農家を将来の職業の選択肢のひとつにしてほしい」という思いを込めているといいます。


「一人ひとりの農家さんには、それぞれの経験から生まれた『独自の物語』があります。他の誰にもない視点やおもしろさが、農業には詰まっていると思うんですよね。生徒さんには、農業を将来の職業のひとつとして考えてもらえたら嬉しいですね」。ロボットと有機農業を組み合わせた取り組みを実際に体験することは、農業の新たな可能性を伝えるだけでなく、未来の担い手を育てるきっかけにもなりそうです。

鮭と川と人の営み、城下町の歴史、 豪農の館、 油田の足跡、 そして有機農業…。 それぞれジャンルは違えど「より良い暮らしと地域を作りたい」 という人々の想いでつながっています。歴史上の偉人だけではなく、現代に生きる県北の人々もまた、地域の宝を次世代へと受け継ぐために奮闘しています。地域の歴史、先人たちの知恵に学び、 現代の課題に向き合う人々の姿を通して、 自分たちの地域の未来を考えるきっかけとなるはずです。

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