110年の時を経て新発田へやってきた大倉喜八郎の別邸「蔵春閣」/新発田市


2023年07月02日 8413ビュー
新発田市が生んだ、明治の偉大な実業家・大倉喜八郎。彼が設立に関わった企業はサッポロビール、日清オイリオ、大成建設など多数あります。ちなみにホテルオークラは彼の息子、喜七郎が設立しました。
喜八郎は財を成した後、賓客をもてなすために1912(明治45)年、別邸を造り「蔵春閣」と名付けます。訪れた人たちは渋沢栄一、井上馨、孫文などそうそうたる顔ぶれでした。その蔵春閣が大倉文化財団から新発田市に寄贈され、喜八郎ゆかりの東公園内に移築・公開されることとなりました。

まずは歴史図書館で喜八郎さんと蔵春閣について知る

それでは早速、蔵春閣を訪ねてみよう!…と行きたいところですが、その前にぜひ訪れてほしいのが、新発田市立歴史図書館です。
現在、同館にて企画展『開館5周年記念 喜八郎さんからの贈り物』が開催されているのです。こちらで喜八郎さんや蔵春閣についていろいろ知ってから、見に行くとより楽しめること間違いなし!
今回展示されている資料は43点。地元新発田への支援事業、幼なじみで後に新発田町長となった原宏平との生涯にわたる友情、趣味の狂歌など、展示を通して喜八郎の人物像に迫る内容になっています。
喜八郎は、日本最初の私立美術館と言われる「大倉集古館」の創設者です。数多くの美術品を収集した背景には、明治時代の廃仏毀釈や廃城令で、日本古来の歴史を有する仏像や美術品が失われていく現状をどうにかしたいという思いがあったようです。そうして集めた美術品の一部は蔵春閣で実際に使われていました。
こちらの「老松図屏風」は、1階の食堂に飾られていたもの。残念ながら作者が誰かは分かっていませんが、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての特徴が画風に見られることから、その頃のものではないかと推測されています。
こちらは蔵春閣1階の食堂に使われていた襖です。この特徴的なギザギザ、どこかで見覚えはないでしょうか。大倉家の家紋として、ホテルオークラの館内にもこのような菱紋様が見られましたが、実は「五階菱」は新発田藩主溝口家の家紋だったのです。この襖は江戸時代の絵師・狩野探幽が溝口家の家紋を崩してデザインし、かつては溝口家で屏風として使われていました。それを喜八郎が溝口伯爵家から購入し、襖に直したのです。
歴史図書館の副参事・鶴巻康志さんは「溝口家の屏風が、大倉家の手に渡り襖に姿を変えて、時を超えて新発田にやって来た。歴史好きにとっては非常にドラマチックな展開が伝わる展示」と解説しました。
蔵春閣は天井も贅を凝らしていました。
こちらは1階食堂で実際に使われていた天井絵です。中央の鳳凰や四つ角の紋様や色使いなどの特徴が、東京・芝にある増上寺の天井絵と似ているのですが、これは偶然ではなく将軍の御霊屋を模したと言われています。古くなり塗装が剥がれやすいため、蔵春閣では複製品を入れてあるそうです。
天井絵は見上げてもなかなか細部まで観るのは難しいもの。こうして実物を間近で見られる展示は、貴重な機会ですよ。
喜八郎の美術コレクションからもひとつご紹介。
源氏物語の一場面を描いた画帖を、屏風に仕立て直した「源氏物語絵屏風」です。17世紀後半以降のものを明治期に表具したものと伝わっています。源氏54帖のうち、「夕霧」「柏木」など後半12帖があしらわれています。
2024年のNHK大河ドラマは、紫式部を主人公にした『光る君へ』です。歴史図書館では放映に合わせて、令和6年度の企画展で詳細解説のお披露目を考えているのだとか。楽しみですね。
隣の「展示室2」には撮影スポットがあります。蔵春閣で実際に使われていた大鏡が設置されているのですが、その中に映るのは在りし日の喜八郎さん。
時空を超えて、一緒に記念撮影ができますよ。

新発田市立歴史図書館

住所:新発田市中央町4-11-27
TEL:0254-24-2100
開館時間:午前9時から午後5時
休館日:月曜日/年末年始
入場無料
令和5年度春季特別展「喜八郎さんからの贈り物 」は4月29日から8月31日まで

建物そのものが美術品、見どころたっぷり

それではいよいよ蔵春閣へと参りましょう!
移築された東公園は、1916(大正5)年に喜八郎が当時の新発田町に寄贈した、大倉公園の跡地に作られた都市公園です。
蔵春閣は1912(明治45)年、東京向島隅田川沿いに建てられました。
その後、1959(昭和34)年に千葉県船橋市の保養施設内に移築され、中華料理店として活用。1978(昭和53)年には曳家で200mほど移動して、三井ガーデンホテルの付属施設「喜翁閣」となります。2006(平成18)年に喜翁閣が閉鎖され、6年後に(公財)大倉文化財団に寄贈されます。財団は保存・移築を考慮して建物を解体。2017(平成29)年に、同財団から新発田市に寄贈されました。
喜八郎さんは蔵春閣建造時に「心を配った建物であれば、粗末にされることなく相当に手を入れて保存してくれるだろう」と言い残していたそうです。
1階部分は食堂が二間と書斎、次の間という間取りです。見どころ満載で、美しい建築物が好き、美術が好きという人にはたまらない建物です。
まず「食堂1」では蔵春閣の説明動画を見ることができます。
食堂1の入り口近くには、なんと江戸琳派の絵師・酒井抱一の筆と伝わる孟宗竹の板絵があります。
隣の「食堂2」は装飾は和風、食卓はテーブル・椅子式の洋風スタイルになっています。在りし日には渋沢栄一などもこの部屋で食事をしたのでしょうか。いろいろ想像はふくらみます。
この部屋では天井にもご注目!歴史図書館で企画展を観た方は、実際に天井にはまるとこんな感じなのか…ということがしみじみ実感できると思います。
食堂から小上がりのように一段上がったところに、書斎次の間があります。こちらは書斎の様子。
ここは喜八郎が収集した美術品を飾る場所でもありました。右の螺鈿細工の棚は、中華民国の政治家・張作霖から送られたもの。左の棚に描かれた鶴は、喜八郎の号である「鶴彦」にちなんで作られたものです。
こちらも天井にご注目!墨絵の龍は江戸の文人画家・谷文晁の筆と伝わっているそうです。
こちらは2階に上がる「階段室」です。チラリと見えますが、折り返し部分が曲線を描いているのです!ここを歩いて上がっていくとき、物語の登場人物になったような気分になれますよ。
2階の大広間に通じる広縁では、それはなんとも見事なタイル貼りが見られます。蔵春閣は隅田川沿いに建てられたため、川を流れる桜の花や、水辺に浮かぶゆりかもめをデザインしました。踏むのがもったいないくらい可愛い!
33畳の2階大広間の一角には「月見台」が設けられていました。
窓の手前にあしらった「網干(あぼし)」型の手摺は喜八郎自らが考え、迎賓館など数々の名建築を手掛けた建築家の片山東熊に相談して作ったという逸話が残っています。網で幸運をたぐりよせるという意味を込めた、めでたい意匠だそうです。
蔵春閣は館そのものが美術品と言っても良いほどの建物ですが、館内にも実際の美術品が多くあります。紹介したもの以外にも狩野派の絵師による襖絵や、日光東照宮の眠り猫で知られる左甚五郎作と伝わる彫刻など、多くの美術品がさりげなく存在しています。ぜひこの素晴らしい空間を体感してみてください。

蔵春閣

住所:新発田市諏訪町1-9-20
TEL:0254-28-3255
開館時間:午前9時から午後4時(受付は午後3時30分まで)
休館日:木曜日(祝日の場合翌日)/年末年始
入館料:一般 500円/小中学生400円

蔵春閣が移築された東公園の一角には、蒸気機関車D51が置かれています。
これは1972(昭和47)年まで羽越線で活躍した車両で、なんと地球51周分の距離を走ったそうです。
さらに東公園には、大倉喜八郎の胸像が立っていたのですが、2007(平成19)年に新発田駅前公園に移設されました。作者は中之島村(現長岡市)出身で、森鷗外桂太郎など著名人の銅像を多く手掛けた彫刻家・武石弘三郎です。
こちらにもぜひお立ち寄りください。

蔵春閣

この記事を書いた人
和田明子

長岡市のリバティデザインスタジオで、夫とともにグラフィックデザインやコンテンツ制作を行う。アート、映画、文学、建築、カフェ巡り、旅行、可愛いものが大好き。ウェブマガジン「WebSkip(https://webskip.net/)」も細々と更新中

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