映画『しびれ』新潟出身の内山拓也監督インタビュー
2026 10.08
オール新潟ロケで撮影された映画「しびれ」は、どのように生まれたのか。新潟出身の内山拓也監督に、作品に込めた思いや新潟で撮影した理由、ロケ地にまつわるエピソードを聞いてきました。
- さかもとみき

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今、ある映画をきっかけに、世界に新しい新潟の魅力が見つかりかけている。
ドイツ、韓国、台湾、ベトナム、アメリカ……各地の映画祭で注目を集めている映画『しびれ』だ。新潟出身の内山拓也監督が手掛け、全編を新潟で撮影している。
第76回ベルリン国際映画祭ではパノラマ部門に正式出品され、第27回全州国際映画祭では特別賞にあたるNETPAC賞を受賞。日本でも第4回横浜国際映画祭のコンペティション部門でグランプリを受賞したほか、台北映画祭では内山拓也監督の特集上映が開催されるなど、国内外で作品への関心が高まっている。
そんな話題作『しびれ』について、内山監督に作品に込められた思いや新潟で撮影を行った背景を聞いた。
東京に出て気づいた、どうしようもなく綺麗な新潟の日常の風景
――新潟県で育った監督が東京に出てから気づいた、新潟の魅力や印象を教えていただけますか。
内山拓也監督(以下、内山監督):新潟の有名な田園風景や観光地ももちろん素敵です。
けど、この映画の制作に向かっていく中で、自分にとって当たり前だった新潟の日常風景が「自分の原体験、原風景」だと気づいたんです。当たり前に過ぎ去っていく新潟の景色や、みんなが気にせずに踏みしめている道端の良さにも。だから新潟を単なる背景ではなく、ある種の主人公像として映画全体にあふれてくるものにしなければ、と思ったんです。
新潟を主人公として撮るという意味でも、20年という時代の流れを一緒に追体験してもらえるような映画を目指しました。
僕は昔、どちらかというと大きな海や山、空の広さゆえの天気の圧迫感や、目の前の現実や直視しなきゃいけないものをどこか鬱々と抱えていたんだと思います。
でも、例えば「新潟の鉛色の空」と呼ぶことで、曇り空の景色など、もしかしたらネガティブに捉えられる可能性があるものも、「どうしようもなく綺麗だな」という情感に変わるんじゃないかなと考えました。
そう思い至ったとき、この作品にとって重要なのは「過去の記憶」や、「閉じ込められていた時間」だと気づいたんです。特別じゃないものこそが特別だ、ということを映画では表現し、フィルムに焼き付けようと、当初の脚本も変え、撮影に入りました。
「実際の場所」より「知っている感情」に似合う場所を選ぶ
――全編新潟ロケをする中で、監督の中に「ここで撮りたい」というイメージがあったのか、それとも下見を重ねながら場所を決めていったのか教えてください。
内山監督:どちらもあります。
この映画は自分自身の経験をもとにしているので、それをどこまで描くのかについては、深く考えてきました。
でも、一番は僕の「知っている感情」と「知っている景色」を、すべてのシーンと映画全体の下敷きにしたかったんです。同時に、それによって私小説的にならないよう、映画的な再解釈をしたいと考えてきました。必ずしも自分が体験したすべてを再現することが、映画的な強さになるわけではないのではないかと。
例えば、映画のファーストシーンでは、主人公・大地が生まれ育った家が出てきます。これをどこにするか決める時、僕は新潟市出身ですが、五泉市にもゆかりがあるため、最初は五泉でやる案もありました。
ロケハンをしていく中で、一人で時間を作って、実際に生まれ育った家を十数年ぶりに見に行ったんです。
自分が生まれ育った家は、売りに出された後、リフォームされて、今は違うご家族が住んでいました。最初、僕は事情を説明して「過去にこの場所に住んでいた者で、映画を撮ろうとしているのですが、この家を使わせてもらえませんか」とお願いしようと思ったんです。
でも、そこには本当に幸せそうな子どもとご両親が住んでいました。今この家には、その人たちの記憶が内包されているし、その家族の時間が動いているなと感じたんです。
過去に自分が住んでいたという事実があったとしても「この家は自分のものだ」という言い方はすべきじゃない。今の家族の形がそこにある、と思ったので、やめました。
ただ、この行為自体が、大地という主人公が歩んでいる軌跡としては一番いい形なんじゃないかなと感じました。そう思えたのも、五泉の景色を久しぶりに見たからというのも事実です。
映画の中の、赤い服を着た大地が出てくるシーンは、このロケハンをして「あのシーンにしよう」と思ったんですよね。自分の体験を置き換えたという感じもあります。
――実際にロケハンに出た中で生まれたシーンもあったんですね。
内山監督:すべてを「あそこの道を歩いた」「ここに行った」という自分の経験に忠実で実話だけにこだわってしまうと、むしろ歪なフィクションになるなと思ったんです。実際にやればやるほど、実のない作り物になりそうな気もして。
新潟の実際の場所に行ったとしても、何年も経っていれば全然違っていたりもするわけです。
では、いかに強度を持ってお客さんに届けられるか。それを考えたとき、自分の感情や、そこに写っている新潟の景色に対して「実際の場所じゃなくても嘘がないように」というテーマだけは貫いています。
映画制作は、時間や場所の制約など、いろいろな物理的な条件にはめ込んでいくことで成立していきます。その中で自分が経験してきた感情や景色を念頭に置いて「そこでしか成立しないよね」という場所が必然的に決まって、映画がアジャストされていくんです。
だから、ロケ地選びにもそれ相応の時間や、労力がかかっています。特に新潟は広いので。
例えば、村上の山形県境から糸魚川の富山県境まで、海沿いを車で走りながら「ここしかないよね」と思う場所を探しました。
自伝的映画なので「監督はどこ出身」という話になりがちですが、新潟市出身といっても、表には見えないだけで、いろいろな人生があるわけです。僕の中にも海沿いの景色や季節を感じてきた時期もありました。だから、そういうものは大切にして、どう映画に落とし込むかを考えました。
そうして、長い年月をかけて、自分の中で決着をつけられるタイミングが今来たという実感で撮ることができました。
「新潟の景色そのものを主人公にする」撮り方
――監督はフィルムカメラで撮影されていますが、「すっぴんの新潟」を映し出す際に、撮り方で大切にしたところがあれば教えてください。
内山監督:映像をダイレクトに届けるということは意識しました。
自分が新潟のロケ地と対峙した時に、負ける感じというか、覆い隠されそうになった感覚があったので、その感覚を嘘偽りなく届けたいと思ったんです。
もしその感覚を届けることができれば、風景の奥にある大地という主人公の気持ちそのものも届くんじゃないかと考えて、それを映したいと思ったんです。逆に、そこから逃げると、すべてが表面的なものになると感じました。
フィルムは、表面的な記録ではなく、時間が眠るというか、凝縮され、物理的に焼きつくものです。だから、今、目の前にある、もう二度と再現できない「この景色」をみんなで直視し、共有して、体験したかった。
僕にとっての新潟の感覚は、5秒前に右を向いていたら雨が降っていて、10秒後に左を見たら晴れている。そんな場所だと思っています。それらを踏まえて天候を限定して撮影する必要はないと思ったんです。それが新潟の景色で、嘘じゃないものだと捉えていました。
――「大地と同じぐらい自然が主人公」というのは、その感覚から来ているんですね。
内山監督:この映画の主人公の名前は大地です。でも、大地がいて、その上に風や雪や雨などの空気や空を覆う雲があり、海などの自然万物、四元素(火・空気(風)・水・土)がある。これらも映画の主人公で、それを踏みしめる存在として「大地」がいる。
また、その大地に栄養を与える樹木として、母親の亜樹がいてほしい。母親の亜樹という名前には、そんな気持ちも込めています。亜樹の亜(あ)は五十音で一番最初に来る音です。そこには「一番最初に来てほしい人」という意味も込めています。そういう願いや祈りは、新潟の景色があってこそ成立するものだと思っています。
そして、新潟の景色の中に音が鳴っているので、音楽はいらないと思いました。映画館で見てもらう時に、新潟の景色や音で包み込まれるような体感ができるものになってほしいと思って撮影、編集しています。
「おかえり」と言ってくれた新潟の人たち
――撮影で地元の方と関わる中で印象的だった反応やエピソードがあれば教えてください。
内山監督:たくさんあります。皆さんが本当にすごく協力的で、その上で場所を選ばせていただいているという感じでした。
ロケ地は上越、中越、下越と全部行っています。
その中でも印象的な拠点だったのは、上越地域の糸魚川です。能建さんという建設会社でプレハブをクレーンで吊り上げて屋上に設置しました。僕たちが行くと、お茶とお菓子を出してくれるような温かい雰囲気の中で撮影にご協力いただいたのは印象深いです。
映画では、プレハブがある種の主人公だったので、あそこがなければ、この映画は成立しなかったと思います。
他にも、中越で青い家や、ポスターの撮影も行いました。
下越に来て新潟市を拠点にしたときも、泊まりながら、車でいろいろな場所に出向いています。
最後の方に登場する、北村匠海さん演じる大地が住処としているマンションは、萬代橋のやすらぎ堤に近い場所にあります。ここは、ロケ地探しで協力してくれた方のお家で撮影させていただきました。実際に人が住んでいる家なので、宿泊の調整や荷物の移動、機材の搬入、廊下を使う際のお隣への配慮など、とても協力していただきました。
ロケで撮影をする時は、許可取りや騒音対策、撮影時間の調整なども事前に行わなければいけません。でも、ロケ地周辺のみんながすごく協力的で歓迎してくれるのを感じました。
僕が新潟出身でここで撮影をしたいという思いが伝わったからだとは思うのですが、ロケ地を探す時「ちょっとお家を見せてください」と言うところから、ずっと歓迎してくれて、見ず知らずの僕に「おかえり」って言ってくれる。僕が「ただいま」って言いやすい環境を、みなさんが作ってくれていた。
それは映画自体もそうだし、僕自身、新潟を出て実家がなくなっていく中でも、みんなが迎えてくれたことで「居場所は自分でまた作れるんだ」ということを教えてもらいました。
その感情をスタッフももろに受けて、いろんな方々と仲良くなって、新潟でもいろんなところに出かけたり、そのつながりは今も続いています。
そういうつながりを通して、人の温かさみたいなのが場所に宿っているのを感じました。新潟はすごく寒い地域です。けど、だからこそ、そういう温かさを人が持っている、つながりに強度がある地域なんだなというのは実感しました。
映画の中で体感する20年の変化
――映画の中では、万景峰号やロシア人労働者など、新潟の文化的背景を盛り込んだり、新潟らしいアイテムの細部にまでこだわった理由を教えてください。
内山監督:人が成長していく長い年月を、映像の観察記録として描いていく中で、20年の変化をちゃんと捉えることが重要だと思いました。
映画というメディアは残るものだと僕は信じています。何年後に見ても、僕が見てきた景色の平成から令和にかけての時代が、この『しびれ』という映画に内包されてほしい、そんな思いがありました。
例えば万景峰号も、近い世代でもピンとこない人がいると思うんです。でも僕の世代、かつ新潟県民からすると「あったよね」というより、目の前にありすぎたワードです。
ロシア人労働者も、今でこそ少なくなってきているけど、今回出演してくれたロシア人の方は実際に今も新潟に住んでいます。
そういった身近な流れは簡単には変わらないものだし、僕自身、子どもの頃のロシア人との出会いの中で優しさに触れたこともありました。
時には歴史で対話するのも大事ですが、国単位ではなく、僕個人の視点から、新潟にとってロシアは、お隣で、目の前の国でもあります。その視点を入れることで見えるものがあるなと思い、新潟の文化的背景としてロシア人も映画に入れました。
とにかく、後で見ても「新潟」というものが、ちゃんと残るようにしたかったんです。
だから小物にも柿の種の缶やアルビレックスのジャージ、スーパーの袋まで、自分が見てきた新潟の時代ごとのものを入れられる限り、入れています。
ただ、それを声高に主張しすぎると、むしろその強さや良さが埋没していく感覚もありました。だから、いかにそれを「必然性」として捉えられるか、「あの時の新潟ってこうだったよね」と感じられるかを大切にしながら、アイテムも選んでいます。
ホテルオークラを映すとか、萬代橋を映すというのも、同じような意味合いです。
どこでもない地域で撮る映画の良さもあるんですが、『しびれ』は「その場所がないと成立しない」映画として、そこは大切にしました。
ポスター撮影で降った、歓迎されているような雪景色
――ポスター撮影のエピソードがあれば教えてください。
内山監督:メインのポスターは、宮沢りえさんがクランクアップする日に撮影しました。匠海くんと宮沢りえさんは、その日が初対面でした。
事前に会ってコミュニケーションを取るのは、映画として僕は違うかなと思いました。久しぶりに再会する彼らには、そこで出会ってほしいと思って。
このポスター自体は、映画にはない世界観です。でも、もしかしたら、こういう時間があった、こういう未来があったかもしれない、という祈りや願いみたいなものを込めたかった。
彼ら二人が見ている視線の先にはどういう景色があるかを想像させる、そういうまなざしのポスターにしたかったんです。大きな背景がある場所がいいと思って、撮影場所は海を選びました。
また、匠海くんが一人で立っているもうひとつのポスターは加茂で撮影したものです。その時だけ雨が雪に変わって降ってきたんですよ。
あの時は本当に、呼ばれている感じがしました。あの景色の中で、あのまなざしを据える背景に、新潟という景色が祝福してくれている、ここが「こういう場所だよ」と放っている感じもしました。
そんなふうに、願っていたら新潟が叶えてくれるような、僕たちがある種の偶然性を呼び寄せ、その瞬間の景色を連続で撮影させてもらうような感じでした。
ずっと晴れないでくれと思ったら晴れなかったし、唯一晴れてほしいと思ったシーンは晴れてくれた。不思議と、その一体感はあったかなと思います。
新潟から前に進む、その先にある希望
――最後に、この映画を地元新潟の方々にどんなふうに見てほしいか、監督からメッセージをお願いします。
内山監督:僕にとって新潟は過去の場所かもしれなかった。でも、その過去と握手して今ではすべてをポジティブに捉えられているから、この映画が撮れていると思っています。
僕は映画に、希望を込めたいと初めて強く願って『しびれ』を撮りました。新潟での母との20年間を抱きしめて東京に向かうという描写を、映画に込めています。だから、東京に向かうあの新潟西ICのシーンは、あそこから登りたかった。
希望というのは、常に隣にあるし、常に目の前にあるということを表現したかった。
映画の中の主人公は、後退しません。いろんなことはあるけれども、歩みを止めずに前に進んだら、どんな光の先があるんだろう。そんなことを、お客さんと対話したいと思って映画に閉じ込めたつもりです。
観終わった後に、隣にいる誰かのことを少しだけ考えたり、もしくは誰かに会いたくなったり、連絡してみたくなったり。そんな時間になってくれたら嬉しいなと思っています。
僕は今、東京で映画を作っています。けど、『しびれ』というタイトルもそうですが、この映画ではすべての感覚を表現しています。この、自分の感覚の土台には、やっぱり新潟の風景や空気がある。
それを新潟の皆さんに届けられるということは、すごく嬉しいなと思っています。
大切な何かを呼び覚ます、対話のきっかけになれば。そして、先ほど申し上げた体感を劇場でしてもらえたら嬉しいなと思います。
この記事を書いた人
さかもとみき













