柴橋庵 會津八一歌碑

しばはしあんあいづやいちかひ

胎内市ゆかりの偉人、會津八一。
胎内市とのつながりは、弥市の父が旧中条町、西条の丹呉家で養育されたことによります。
昭和20年4月、東京空襲で罹災、養女キイ子とともに丹呉家へ疎開しました。

この地にある曹洞宗、太總寺には「観音堂」として詠んだ中の一首を刻んだ歌碑が建てられて
います。
また、丹呉家から一時移り住んだ近くの観音堂は現在、百体観音とともに、この寺に移築されています。

疎開中には養女キイ子を病気で亡くしますが、その深い悲しみを詠んだ「山鳩」21首は絶唱といわれて
います。
その一首を刻んだ歌碑をキイ子没後約70年の平成26年、ゆかりの柴橋庵に建立しました。

基本情報

住所新潟県胎内市柴橋1099
備考會津八一(明治14~昭和31年)は新潟市に生まれ、早稲田大学名誉教授(文学博士)。
東洋美術史家としてはもちろん、書家、歌人としても有名です。
代表歌集に『鹿鳴集(ろくめいしゅう)』『山鳩』があります。

胎内市とのつながりは旧中条町、西条の丹呉家で養育されたことによります。
北越の豪農、市島家一族出身の政次郎は縁戚関係にある丹呉家で成人したのち新潟市古町
の會津屋へ婿入りしました。八一は学生時代にも父の郷里でもある中条を訪れていますが、
昭和4年(早稲田高等学院教授時代)には中条小学校で奈良美術について講演を行っています。

昭和20年4月、東京空襲で罹災、養女キイ子とともに丹呉家へ疎開しました。
この地にある曹洞宗、太總寺には歌集『観音堂』の一首を刻んだ歌碑が建てられています。
また、丹呉家から一時移り込んだ近くの観音堂は現在、百体観音とともにこの寺に移築されています。