加茂市が県内有数の和紙の産地だったって本当!? 400年以上前から受け継がれる加茂紙って何?/加茂市


2022年01月06日 6760ビュー
江戸時代、農業の閑散期に製造するようになった、加茂市七谷地区の和紙。年貢米の一部を紙にかえて納めた「御用紙(ごようし)」として作り始めたことがきっかけでした。次第に販売用に生産されるようになり、加茂市史によるとピーク時の明治〜大正時代にかけては、県内一の生産額を誇ったといわれています。

ですが、大正後半になると洋紙に押され、需要は激減。一度は、販売用としての和紙の作り手はいなくなってしまいました。そのような中、平成24年に「紙漉きの伝統を伝え残そう」と考えた加茂市は希望者を募り、紙漉き技術を保存するための事業を開始しました。その参加者の一人が、現在加茂紙の製造を続ける鶴巻由加里さんだったのです。

加茂紙が再興するまで何があったのか。今でも受け継がれる伝統的な技法とは。現在、加茂市で唯一加茂紙の製造を続ける鶴巻さんにお話を伺いました。

誰でも見学可能な「加茂紙 漉場(かもがみ すきば)」

JR加茂駅から歩いて約10分。駅前から続く商店街の中に「加茂紙漉場」と大きく書かれた看板が見えます。ここが、今回お話を伺う鶴巻さんの作業場。この作業場は、事前に予約をすれば、誰でも見学することが可能だそうです。(時期により紙漉き体験を行えます。※要予約)

ガラス戸を開け、中に入ると目に入るのは、大きな和紙の数々と紙漉きの道具。普段、和紙に触れる機会があまりないので、作るときはこんなに大きな和紙になることを知らず、驚いてしまいました。

400年以上前から続く、加茂紙(かもがみ)とは

日本画で使う高級紙から、ちり紙までさまざまな用途の使われ方をしてきた、加茂紙。ピーク時は、ほとんどの七谷地区の住民が、楮の栽培・刈り取りや原料となる楮(こうぞ)の皮を剥ぐ作業など、何かしらの和紙に関する作業を手伝っていたといわれています。

しかし、大正時代の後半になると、洋紙に押され、和紙の需要が激減。加茂紙をつくる家も減少し、ついに平成5年、最後の一人も高齢を理由に辞めてしまったそうです。
加茂紙の生産が途絶えて20年近く経った平成24年、「紙漉きの伝統を伝え残そう」と加茂市は「加茂紙」の製造技術を学ぶ紙漉き技術保存振興事業を立ち上げました。商店街の中にあった旧協栄信用組合加茂出張所を改修し、紙漉きの機械や道具を設置。一般から希望者を募り、10名が1年間加茂紙の製造方法を学んだそうです。
 
そこに鶴巻さんも参加。当時は専業主婦だったそうですが、純粋に「やってみたい!」との思いで応募したとのことでした。
「知識なんて全然なかったのですが、やってみたら楽しくて。紙漉きを通して、色々な人と繋がることもできましたし、一通りの製造方法を教えてもらうこともできて。すごく充実した1年を過ごせたと思います」と鶴巻さん。

しかし、補助金で学ぶことができたのは、1年限り。10名のうち、紙漉きの専門学校を卒業した人がいたそうで、その人だけが専属で加茂紙の製造に携わることになりました。鶴巻さんはというと、「せっかく学んだのだから」と自宅の車庫に最低限の道具を揃えて習った加茂紙を自作。趣味の延長で楽しめればと思って好きに加茂紙をつくっていたそうです。
そんなときに加茂市の担当者から電話がかかってきます。加茂紙保存事業の拡大を行いたいので、加茂紙をつくってみないかとの相談でした。いの一番で「やります!」と返答した鶴巻さん。もともといた職人と協力しながら半年加茂紙の製造をして夏場は休む2年間を過ごしたそうです。

しかし、一緒に製造していた職人が事情により加茂から去ることに。平成29年からは鶴巻さんが一人で加茂紙の製造に携わっています。

できるだけ伝統的な手法を受け継ぐ、加茂紙の製造方法

そんな加茂紙ですが、一体どのようにして作られているのでしょうか?鶴巻さんに順を追って説明してもらいました。

1. 楮(こうぞ)の刈り取り
まずは、11月末頃から加茂市にある冬鳥越で和紙の原料となる「楮」を刈り取ります。楮は成長すると2〜3mほどにもなるクワ科の落葉低木で、秋のうちに刈り取っておくと春に新しい芽が出て、また次の楮が育つそうです。
2. 楮ふかし 〜 たくり
続いて、鍋に入る長さにカットし、2時間ほど蒸します(楮ふかし)。その後、皮だけを剥き、「タクリ包丁」と呼ばれる包丁で皮の内側にある緑色の部分をそぎ取り、乾燥させて保存します(タクリ)。
3. 楮煮
 
ソーダ灰を入れて3時間ほど煮ます。素材を柔らかくすることで、次の工程をやりやすくします。

4. 楮たたき 〜 ビーター
煮終わった楮を冷水につけ、色が変わっている部分を手作業で取っていきます。これをしっかりすることでよりきれいで白い和紙に近づくのです。その後、木槌で5分間×20玉叩き、ほぐれたものを細かくしてくれるビーターで攪拌します。

5. 紙漉き
こうした作業を経て、ようやく紙漉き。舟の中に細かくした紙の素「紙素(しそ)」と、トロロアオイを入れて紙を漉きます。

6. 乾かす
翌朝までジャッキで水分を絞り、翌日からは板に貼って乾かします。

7. 完成
こうしてようやくできあがる加茂紙。加茂紙は、鶴巻さんが作業する、この加茂紙漉場や公民館、図書館などで購入することができます。最近は、市内の老舗料亭さんが「しおりに使いたい」と発注をくれたり、フォトコンテストで入賞した写真を印刷したりと、新しい使い方も増えているそうです。

加茂紙を中心に人の輪が広がっていく

一度は途絶えかけた紙漉きの技術ですが、現在は鶴巻さんが引き継ぎ、加茂紙は和紙として形を残すことができました。技術の継承、和紙の新たな使い方の発注と一見順調そうに見えますが、鶴巻さんは「道具の修理ができる人が少ない」と作り手ならではの視点で不安を口にします。

「加茂紙の製造に必要な包丁や木槌などの道具の数々。これらを修理できる人が、高齢化によって段々と少なくなっているんです。道具がないと和紙も残っていきません。最近、ようやく加茂紙に注目をしてくださる方が増えて、ボランティアで手伝ってくれる人も増えてきました。こうして期待してくれる人に応えるためにも、地道に一つひとつ課題に向き合っていきたいと思います」
一方、鶴巻さんは加茂紙を通して、色々な人が繋がり、新たな人の輪を生み出していければと希望を語ります。

「最近は、ボランティアで手伝いたいと声をかけてくれたり、まちあるきで訪れたデザイナーさんが力になりたいと言ってくれたりと、加茂紙を中心に色んな人が繋がってきていることを実感します。知らなかったことをたくさん教えていただきますし、純粋に私自身の世界が広がっていく感覚があってすごく楽しいんです。でも、これからは私だけじゃなくて加茂紙に関わってくれた人を繋げる役割になれたらいいなと。ボランティアさん同士を繋げたり、デザイナーさんと繋げたり。そうやって加茂紙を中心に人の輪が広がっていったら嬉しいです」
県内一の生産額を誇っていたという、加茂紙。一度は技術が途絶えかけてしまったものの、熱意のある様々な方々のおかげで再興の一歩を踏み出すことができました。

そして、現在は加茂紙を中心に人の輪を広げていく次の段階へ。ボランティアさんやまちあるきで出会ったデザイナーさん、協力してくれる加茂市内の事業者さんなど、各々が出会うことで新しい繋がりが生まれ、加茂紙の次の展開に繋がることもあるかもしれません。

ただ、そうした未来の話よりも純粋に「色んな人と繋がっていける今が楽しい」と嬉しそうに語る鶴巻さんの表情が印象的でした。
加茂紙 漉場

加茂紙 漉場

住 所 :新潟県加茂市上町1-22
電 話 : 0256-52-4184
時間 :9時〜16時
営業日 :月曜〜金曜

この記事を書いた人
madoka

新潟県在住ライター。旅での気づきを日常に持ち帰ってもらえるように、地域の人や暮らしも含めて伝えるようにしています。