新潟出身の抒情画家蕗谷虹児の絵に魅せられて「パリに咲いた虹 蕗谷虹児 渡仏100年記念展」を訪ねる「蕗谷虹児記念館」「はり糸」/新発田市・新潟市


2025年11月17日 91ビュー
新潟にゆかりのある蕗谷虹児という抒情画家をみなさんは知っていますか?
絵を描く小柴ぱせりとしては興味津々です。
同時期の、美人画を描き詩人でもある竹久夢二が有名ですが、彼に22歳で自身の絵を見せに行ったのが蕗谷虹児です。竹久夢二に才能を認められた蕗谷虹児のことを知りたくて、新発田市にある蕗谷虹児記念館を訪ねてみました。
 
入館すると教会のような吹き抜けのホール!上の方には蕗谷虹児の絵が描かれた丸窓が光を通しています。
まずは年表を見ながら蕗谷虹児の生涯がどんなであったかをお聞きしました。

1898年 (明治31)虹児生まれる

蕗谷虹児の母エツは新発田市出身で湯屋「有馬の湯」が実家。活版印刷所で働いていた父傳松 (でんまつ)が湯屋でエツと知り合い、水原に駆け落ち。虹児は水原で生まれたのではないかとされている。本名は一男。
 
小さい頃は母の実家新発田で育ち、ほどなくして親に引き取られ新潟の町へ。西堀小学校 (のちの新潟市立大畑小学校、現・新潟市立新潟小学校)に入学。
新潟大火で住む家が亡くなり、転々と住まいを変えながら生活していたが、虹児が13歳のとき母エツが28歳で死去。これをきっかけに家族がばらばらに、それぞれ生活のために働くことになる。
虹児は父紹介の印刷所で働き、絵の勉強を始めた。その才能をみた社長から新潟出身の日本画家の尾竹竹坡 (おたけちくは) の弟子になるよう勧められ15歳で上京。内弟子として竹坡のもとで日本画を学ぶ。
 
尾竹竹坡のもとでいろいろあり虹児は新潟に戻り、映画館「新潟館」で看板絵師として働く。間借りしていた大家の奥さんと恋仲になったことが発覚。父のいる樺太へ行くことになり、浮世絵のような肉筆画を描いては売って生計を立てた。しかし本当は画家になりたいと再び東京へ。

1920年(大正9)虹児22歳、竹久夢二を訪ねる

当時人気だった竹久夢二に「挿絵を書きたいのですが自分の絵はどうでしょうか」と絵を見せに行った。すると竹久夢二が気に入って、彼自身が執筆していた「少女画報」という少女雑誌の編集長を紹介する。虹児は同誌へ挿絵掲載のデビューをはたす。
『少女画報』『令女界』『少女倶楽部』などの雑誌の表紙絵や挿絵が大評判で、夢二と並び称されるようになる。
 
当時の住まいの大家の娘りんと結婚。挿絵で生活はできるほど人気になったが、虹児の夢は「画家」になることでありフランス、パリに旅立つ決心をする。

1925年 (大正14)虹児27歳、パリへ

いまからちょうど100年前、虹児は妻とパリの地を踏む。
パリにいたのは4年間。絵画の勉強をし、有名なサロン(公募展)に応募しながら、生活のために日本の少女雑誌にパリから挿絵を送っていた。サロンでは連続入選をし、フランスで活躍する日本人画家の東郷青児や藤田嗣治らと親交を深めていた。

1929年 (昭和4)虹児31歳、帰国

虹児は家族に呼び戻され一時帰国、そのまま東京で挿絵画家に戻ることになる。
竹久夢二の柔らかい画風とは対照的な、虹児のパリ風のモダンな画風は一世を風靡。
やがて時代は移り変わり戦時色が強くなり、全盛期だった少女雑誌が下火になっていく。少女のための娯楽はだんだん少なくなり、虹児の活躍の場もまた少なくなっていく。
出版社は子どものための童話や絵本に力を入れはじめ、虹児の仕事も子どものための絵本の挿絵へと移行していった。

1950年代後半 虹児、映画をプロデュースする

日本初のアニメーション製作スタジオ、東映動画(東映アニメーションの前身)でアニメ映画を作ることになり、虹児が総合プロデュースし、実験的な短編「夢見童子」を製作。マルチクリエイターの先駆けだった。
同時に劇場版「白蛇伝」が製作され1958年公開。東映動画では入社したばかりの高畑勲が一緒に仕事をしていた。ちなみに東映動画の大川博社長は新潟市の出身。

1966年(昭和41)虹児68歳、「花嫁人形」の詩碑が立つ

蕗谷虹児画業50年記念として、新潟市西堀イタリア軒脇に立った詩碑の除幕式に出席している。
60代には新潟日報で自伝「海鳴り」を連載し、加筆して自伝「花嫁人形」を出版。
70歳をすぎ、ようやく挿絵から一歩引いて自分の絵を描くようになり、抒情画といわれる作品をたくさん描くようになる。有名な朱の杯を持った「花嫁」の絵はこの頃の作品。

1979年(昭和54)虹児80歳、急性心不全にて死去

「虹児はどちらかというと裕福ではなくて、貧乏暮らしから成り上がったといいますか。挿絵画家として人気になって、それでどんどん活躍を広げていって、モダンな作風に昇華していった。あの大変さからここまで来たっていう人となりが興味深いと思います」と学芸員の伊藤さんは言います。
たしかに、人との繋がりが生きる道を示していた縁を大事にしていた人という印象ですね。
生き様を知ると、絵の見え方も違ってきます。
さて今回はパリの作品展。
蕗谷虹児記念館では2026年(令和8)1月25日まで「パリに咲いた虹 蕗谷虹児 渡仏100年記念展」の開催をしていて、パリの4年間で描いた作品が主に展示されています。
アカデミーで絵画を習いながら妻をモデルにしたデッサンや風景スケッチを描いたり、その合間にサロンと呼ばれる公募展に応募する絵を描いたり、忙しい日々を送っていました。
パリで有名な公募展は、春にあるサロン・ナショナルと、秋にあるサロン・ドートンヌ。
パリに渡って1年ほどで「混血児とその父母」という作品がサロンで入選したのは、フランスでは名も知れぬ日本人画家として快挙だったようです。
作品は日本画の線画、独特の平面的な感じと、画材も和洋いろいろ混ぜたりして描いたものがおもしろいと受け入れられました。この作品は虹児にとって思い入れが深く、無造作に丸め日本に持って帰ってきています。
パリから日本に送っていた「令女界」の挿絵は、パリの背景や、モダンな女性像、スカーフや帽子などのファッション、カフェや映画館など、日本にはないようなものの憧れが描かれました。
情報を得るには雑誌しかない時代、虹児が直接パリの生活で見聞きした快活な女性像をモダンな画風で紹介するのは、日本の少女たちに新鮮に映り、すごく人気がありました。そこからモダンガールなどが流行った可能性は大いにあるかもしれません。
作品「異国の友と」は「令女界」の付録ハガキ用に描かれたもので、洋装と和装のモダンな女性が対になり、まんなかで2枚のハガキに分かれます。
これは、イタリア軒とはり糸とのコラボカステラのパッケージになっている作品です。
パリで活躍していた画家東郷青児が友達で、彼をモデルにした虹児の作品がありました。また藤田嗣治とも親交が深く、一緒に写った写真が残されています。虹児の子どもの名付け親になり、パリの文化として「親愛の証」とされる自身のパートナーの寝顔を描いた絵を、虹児に贈っています。
パリでは日本の画家の同志たちが集まっていたようですよ。
2階は資料中心に展示。
画室の写真と使用していた画材、装丁デザインをした三島由紀夫の「岬にての物語 豪華版」、戦時色はあるが少女たちに夢を与え好まれるような作品、蕗谷虹児を気に入っていた中国の小説家魯迅が自ら編集した虹児の詩画集、東映動画でのアニメーションプロデュースの資料などがあります。
売店はポストカードが充実!
小さな美術館ですが、蕗谷虹児の広い絵の世界をぜひ見に行ってみてください!
蕗谷虹児記念館

蕗谷虹児記念館

住所:新発田市中央町4丁目11番7号
電話番号:0254-23-1013
ファクス番号:0254-23-1013
開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 月曜日(祝日の場合翌日)、12月29日~1月3日
※企画展の展示替え作業のため臨時休館する場合があります。詳しくは、企画展情報をご確認ください。

駐車場駐車台数約150台(市役所第3駐車場)
交通アクセスJR線 新発田駅から徒歩15分
入館料
大人550円、団体440円(20名以上)
高校生230円
小・中学生120円
※障がい者手帳をお持ちの方(ミライロIDの提示)は入館料無料

さて、蕗谷虹児の「異国の友と」がパッケージになっているということで、新潟市中央区古町の「はり糸」も訪ねてみました。
これはホテルイタリア軒創業150周年記念パッケージ のカステラとして販売されています。
蕗谷虹児とイタリア軒
大正から昭和初期にかけて活躍した新潟出身の画家・詩人、蕗谷虹児(ふきやこうじ)は、華麗で繊細な抒情画で知られています。代表作「花嫁人形」の作詞者としても有名な蕗谷は、幼少期を新潟市で過ごし、イタリア軒にも縁のある文化人でした。イタリア軒は1874年創業の新潟最古の西洋料理店であり、当時から多くの芸術家や知識人が集う場でもありました。蕗谷虹児の作品は、異国情緒あふれるイタリア軒の歴史と共鳴し、今回の150周年記念パッケージに採用されたことで、さらに深い文化的つながりが生まれました。
(イタリア軒HPより引用)
「はり糸」は、1873(明治6)年創業の老舗菓子店であり、新潟で初めてカステラを焼いた店として知られています。イタリア軒とは創業年が近く、古くからこの地域で営業が続いています。
以前は多店舗展開をしていましたが「わざわざ来て選んでいただけるようなお店にしたい」と、古町本店のみを残し他の店舗を閉鎖。販売商品もカステラに絞り込みました。現在、カステラが売上の約70%以上を占める主力商品となっています。
カステラは、小麦粉、砂糖、米飴、卵といった基本的な材料を使用、厳選した良質な卵をたっぷりと使って、店内の奥の工場で丁寧に焼き上げられています。
「スタイリッシュなデザインにできないかと話している中で、例えば4種類ぐらい作って、カステラ4姉妹なんて面白いんじゃないかな」とスタートしたのが、スタンダードなカステラの他、「抹茶」「チョコ」「あずき」の「カステラ四姉妹」です。
また、新潟名物ぽっぽ焼き味の「ぽっぽカステラ」「地酒カステラ」も定番に加わりました。あとは季節変わりの限定味「おいも」や「味噌」など、だいたい2ヶ月に1回くらいで変わっていくそうですよ。
カウンターの向こうの棚に、焼き上がった色とりどりのカステラが揃っているときもあります。
私は「よもぎ」と「ほうじ茶」味が気になります。こりゃ通わないとだ!
はり糸

はり糸

住所:新潟市中央区古町通5番町618
電話番号:025-228-4471
営業時間:9:30〜18:30 ※無休
駐車場:契約駐車場あり

今回寄ったところ

この記事を書いた人
小柴ぱせり

72年新潟市生まれ、99年結婚、夫婦二人暮らし。イラスト描きます。 読書、創作、映画、音楽、演劇、着物など、文化系多趣味で、ちょっと?鉄子。企画運営好き。 15年-18年は信州暮らし。
https://314musubiya.9nzai.net/