まもなく通水100年 大河津分水めぐり/燕市・長岡市


2021年06月23日 14498ビュー

大河津分水について

初めて新潟市を訪れた県外の人の中には、萬代橋を渡るときなど、市内を流れる信濃川を見て驚く人も少なくない。高さ100メートルを誇ったかつての万代シティのシンボル・レインボータワーや県庁18階の展望フロアから見下ろすときもそうだ。
日本一の長さを誇る大河の割に川幅や水量などが大人しい、というか率直に言って小さく見えるのだ。ややもすれば、その北を流れる阿賀野川の方がよほど大河の風格があるようにも見える。

しかし、越後平野に住む人間は、そうではないことを知っている。かつては、大河にふさわしい圧倒的な水量を持ち、豪雨のたびに氾濫し人々の暮らしに甚大な被害を与えた暴れ川・信濃川は中世に分流となる中ノ口川、そして、百年前には大河津分水、さらに関屋分水とそれぞれ日本海に水を放出するバイパスを穿たれ、牙を削がれた姿なのだ。
そうした人々の長年の治水の努力によって、今日の越後平野の繁栄はある。
来年2022(令和4)年、越後平野の治水事業の中でも最大で「東洋のパナマ運河」とも呼ばれた大河津分水が1922(大正12)年の通水から100年を迎える。
おりしも近年頻発する豪雨水害への備えなどから、2018年の本格着工から2032年完了までの大事業となる抜本改修により姿を変えつつある大河津分水を訪問。
信濃川本川との分流地点に設けられた「洗堰」と「可動堰」、その周辺にある史跡や観光施設などを通じて、その歴史を学んでいきたい。

姿を変えつつある分水路河口周辺

最初に足を運んだのは、改修工事の進む河口付近。県内観光の中でも人気の長岡市・寺泊から、弥彦・新潟方面に通じるシーサイドライン上の野積橋も、この改修工事で架け替えとなる。河口の川幅を拡大し、流下能力を向上させるためだ。現在は、河口の掘削と新野積橋の建設が進んでいる。
一方、こちらは長岡市側の山地掘削と、分水路の洗掘を防止し、水流を安定させ、河岸の崩壊などを防ぐために新たに設ける新第二床固の工事の様子。
堤防道路から見る工事の様子や行き来する大型トラックの多さからも、本事業の規模の大きさが感じられる。

改修事業を分かりやすく「にとこみえ~る館」

新第二床固工事の現場近くには、国土交通省北陸地方整備局の信濃川河川事務所が管轄する「にとこみえ~る館」があり、大河津分水路改修事業について「にとこコンシェルジュ」が分かり易く説明してくれる。
工事の概要や大河津分水の歴史を紹介するパネル展示のほか、タブレットを使ったARの仕掛けやシアタールームなど大人から子どもまで楽しめる展示が盛りだくさん。
トイレや自動販売機も整備されており、寺泊観光や弥彦観光の途中の休憩地点としても活用できそうだ。
こちらは屋上からの眺め。現在の第二床固や新第二床固工事、掘削されていく山地を見下ろすことができる。

にとこみえ~る館

住所:長岡市寺泊野積
開館:午前9時から午後4時まで
休館日:毎週月曜日(月曜休日の場合は翌日以降)
料金:無料
TEL:0258-89-7105

四季折々に楽しめる大河津分水公園

信濃川本川と大河津分水の分流地点には、それぞれの流量をコントロールする洗堰(あらいぜき)と可動堰(かどうぜき)、それらと大河津分水を管理する信濃川河川事務所の大河津出張所があり、その周辺は「大河津分水公園」として整備されている。
周辺は、県内有数の桜の名所として知られ、春には花見客で賑わう。コロナ禍で中止しているものの、四月のイベント「分水おいらん道中」は県内外からの多くの見物客が訪れる一大イベント。(写真:信濃川大河津資料館提供)
また、秋の紅葉や冬の白鳥の飛来なども見どころ。
(写真:信濃川大河津資料館提供)

洗堰周辺

洗堰は、信濃川本川の水量を管理する堰。2019(令和1)年10月の台風19号のもたらした大雨の際にも機能し、県都・新潟市のある下流部への水量を調整。もう一つの可動堰と連動し、大河津分水に水を向けることで下流部での浸水を防いだ。
現在の堰は2000(平成12)年に通水したもので、一般向けには、行き来する魚を見学できる魚道観察室もあるが、現在は臨時閉鎖中。
また、約100年前に完成、現在、その役目を負えた旧洗堰が今も保存されており、2002年には国の登録有形文化財にも指定された。年月を経たコンクリートの柱の質感が長い歴史を感じさせる。
さらに、出張所近くには、工事で亡くなった100人の殉職者を慰霊する慰霊碑が建立されており、長年に渡る工事の厳しさをうかがわせる。毎年、4月には慰霊式が執り行われ、関係者や流域の首長が参加する。
公園内には、子どもたちが水辺の生き物に触れるのにぴったりの体験水路もある。夏休みになれば、子どもたちが水網を持って楽しむ姿が目に浮かぶよう。

可動堰周辺

可動堰は大河津分水に流れる水量を調節する堰。2011(平成23)年11月に通水。川幅約700メートルの分水路をカバーするため、ラジアルゲート方式(表面が円弧で回転式で稼働する方式)においては径間や扉体面積において日本最大級の河川ゲートとなった。
大河津分水路の流れがゲートから流れ落ちる迫力に圧倒される。
また、魚が遡上するための魚道も3レーン用意されている。これは、魚の種類やサイズによって遊泳力が異なるため。

青山士のメッセージ

可動堰周辺にはいくつかの石碑があるが、見逃せないのが「信濃川補修工事竣工記念碑」。1927(昭和2年)に可動堰の前身として日本で初めて建設された、水圧と浮力で堰を起倒させる当時最新鋭の自在堰が陥没。それに代わる可動堰の建設などの補修工事の竣工記念の碑で、工事の指揮をとった新潟土木出張所所長・青山士(あきら)の言葉として、表面に「萬象ニ天意ヲ覚ル者ハ幸ナリ」、裏面に「人類ノ為メ國ノ為メ」とある。いずれも、土木技師として私利私欲より人類全体を見つめ仕事に向き合った青山の高潔な人柄が窺える言葉で、日本を代表する版画家・棟方志功もこの言葉に感銘を受け、自身の作品に彫っている。
当時、世界共通言語とされたエスペラント語が添えられた碑文を前に身が引き締まる思いがする。
このほか、可動堰の近くには燕市が整備した大河津分水さくら公園もある。子供向けの複合遊具やビジターハウスがある家族で楽しめる公園で、イベント時にはありがたい広い駐車場も整備されている。おいらん道中などのイベント時には露店が出ることも。

信濃川大河津資料館で学ぶ

公園散策の拠点となる学習施設、大河津資料館では、大河津分水や河川についての貴重な資料を数多く展示している。
1階部分では「大河津分水の歴史と恩恵」と銘打ち、分水建設以前の湿地帯だった越後平野の様子をジオラマや当時の農具などを通じて紹介するほか、分水建設の契機ともなった、越後平野全体を水に沈めた大水害「横田切れ」について、当時の写真や絵巻、紙芝居などで紹介。
越後平野の水害との戦いの歴史、そして、大河津分水がもたらした穀倉地帯としての発展や都市部の近代化の流れなどを分かりやすく示している。
2階は、大河津分水工事がテーマ。実際に工事で使われていた当時の器具や図面、報道の様子、年表などを展示しており、工事に携わった土木技術者をはじめとする関係者の熱意や流域住民の期待を窺うことができる。また、現在は通水100年に合わせた企画展示を行っている。
四階の展望室からは、周辺を一望。写真は、信濃川本川と大河津分水の分流地点。左側が新潟市方面に流れていく本川となる。

大河津資料館

住所:燕市五千石(無番地)
開館:午前9時から午後4時まで
休館日:毎週月曜日(月曜休日の場合は翌日以降)、12月29日から1月3日まで
料金:無料
TEL:0256-97-2195

昼食は分水市街地の中華亭へ

百年に渡る治水の歴史を学んだ帰り道に立ち寄ったのは、分水のマチナカにあるラーメン店・中華亭。
4人掛けのテーブルが4つの小さな店内は、昭和から時が止まったかのよう。
いわゆる燕の背脂ラーメンの名店として知られており、県内外から多くの人が足を運ぶ人気店でもある。それもそのはず、燕発祥の背脂ラーメンの元祖といわれる福来亭で初代が修業した、いわば「直系」のお店。
3代目となる店主の斉藤宏一さんによれば、初代が独立し新潟市で店を開いたときの屋号も「福来亭」だったとか。
 
出てきた「中華そば」(税込700円)は、いわゆる燕の背脂ラーメンとしては背脂も刻んだ玉ねぎも控えめで細いメンマが映える仕上がり。
手打ちの太麺に絡むスープは背脂ラーメン特有のとんがった塩辛さはなく、正直、あまり背脂ラーメンが好きではない私が、「これなら何度でも食べに来たい!」と思える美味しさ。長年足を運び続ける熱心なファンが地元に多くいるのもうなずける。
何でも、平成の大合併で、旧分水町が燕市と合併し、市役所が旧吉田町に移転した後も、旧分水町の職員が中華亭の味を忘れられず、吉田から出前を取ろうとしたそう。
また、メニューは麺類だけでも十種類以上があり、中華そば以外では「五目味噌ラーメン」(税込850円)も人気。
斉藤さんは「味を変えないようにね。時々、ちょっと違う時もあるけど、変わらずにやっていきたいですね」と控えめに話していた。

中華亭

住所:燕市分水大武1-4-3
営業時間:午前11時から午後8時まで
定休日:毎週火曜日
TEL:0256-97-2023

最後に

今でこそ越後平野は日本有数の穀倉地帯として繁栄しているが、かつては湿地帯で米の収量は多くなく、品質も決して良い物ではなかった。長年に渡る土地改良や米の品種改良で克服してきたのだが、土台になったのは越後平野の安全・安心、すなわち信濃川の治水に対する先人たちの努力に他ならない。
大河津分水の100年の歴史は、まさに人々の信濃川との戦いの歴史であり、越後平野の近代化の歴史そのものである。
今回の通水100週年に合わせて、関係各機関は、このコロナ禍においても趣向を凝らしながら様々な企画を予定している。水辺の四季の移ろいや水鳥たちを眺めるのも面白い。ぜひ、この機会に現地に足を運んで、その歴史や工事に携わった関係者らの思いを感じ取ってもらえれば、と思う。
この記事を書いた人
ヤマダ マコト

新潟市秋葉区在住。サラリーマンの傍らkindleストアで電子書籍にて地元・新潟を舞台にしたエンタメ小説を発表。インディーズながら一部で熱烈な人気を集め、どっちが本業か分からなくなりつつある中年男。

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