消えた「角海浜村」の面影を探して…/新潟市


2022年08月30日 13463ビュー

今年の夏も終わりを迎えますが、海へ遊びに行った人も多かったのではないでしょうか?
「越後七浦シーサイドライン」沿いの角田浜や野積浜も人気の海水浴スポットです。
海岸線を走る「越後七浦シーサイドライン」は、眺めのいいドライブコースとしても人気ですよね。
でも、一か所だけ山の方に迂回していることをご存知でしょうか?
「浦浜大橋」の手前から「角海トンネル」を過ぎるまでの間、道路が海沿いから離れる区間があるんです。
そこにはかつて「角海浜村」という村があったのでした。

 

村への入り口は浦浜海水浴場駐車場を過ぎてすぐに左折し、角田山登山口に向かう途中にあります。
ただ、現在この道にはゲートが建てられ、通行禁止になっているんです。

 

通行止めの理由は、道路の崩落によるもの。
その「崩落」こそが、村の消えた理由のひとつとされているんです。

 

ちなみに、海の方から崩落した道路を見ると、このような状態になっています。
このことからも察することができるように、この辺の地質は大変にもろく、度重なる山の崩落や「マクリダシ」と呼ばれる海岸の侵食現象によって、どんどん人口が減っていったようです。

 

「マクリダシ」は「波欠け」とも呼ばれ、数十年に一度、波によって海岸の土砂が根こそぎ奪われる侵食現象で、家屋が倒壊して埋没してしまうことが度々起こったのだとか。
それによって、かつて250戸あった家屋は、いつしか9戸に減ってしまったのでした。

 
その「角海浜村」に引導を渡すかのように、昭和44年に東北電力巻原子力発電所の建設計画が持ち上がります。
昭和49年7月に最後の住民が立ち去ったことで「角海浜村」は廃村を迎えたのでした。

 

「角海浜」にまつわる資料がいくつか展示されている「新潟市巻郷土資料館」に足を運んでみました。
消防署跡の建物を利用しているユニークな資料館です。

 

延宝2年の角海浜絵図が展示されています。
当時はどんな風な村だったのかが偲ばれますね。

 
「角海浜村」は、宮城まり子さんが歌った「毒消しゃいらんかね」という歌謡曲のモチーフにもなっている「越後毒消し」発祥地でもあるんです。
山と海に挟まれた地形では農業で生計を立てることが難しかったこともあり、村の「称名寺」に伝わる製法によって丸薬が作られ、村の女性たちによって行商されたのだそうです。
食中毒、便秘、下痢などの症状に効能があったとか。

「新潟市巻郷土資料館」には、丸薬を作るときに使った道具や薬袋が展示されていました。

 
毒消し売りの際の行商ファッションも展示されています。
毎年、毒消し売りの女性に会えることを楽しみにしていたお得意さんも多かったとか。

 
そうした「角海浜」や「越後の毒消し」にまつわる、貴重な写真が掲載されている資料も保管されています。
当時の暮らしぶりがわかる写真は、とても貴重なものです。
興味のある方は是非「新潟市巻郷土資料館」を訪れてみてください。

 

新潟市巻郷土資料館

新潟県新潟市西蒲区巻甲3069-1
tel.0256-72-6757
営業時間/9:00−16:30(最終入館16:00)
休館日/月曜(休日の場合は翌日)
    休日の翌日(日曜の場合は翌々日)
    年末年始(12月28日〜翌年1月3日)

福井にある「旧庄屋佐藤家」の管理人をしている斎藤文夫さんは「角海浜」の写真を多く撮影し、たくさんの著書を残しています。
立ち寄ってお話をお聞きするのもいいかもしれませんね。

 

福井旧庄屋佐藤家

新潟県新潟市西蒲区福井2908
tel.090-2551-8514
営業時間/要問合せ
定休日/不定休
駐車場/普通車50台
※各種体験についてはお問い合わせください

また「五ヶ浜」集落には、「角海浜」から移築復元した有形民俗文化財「篠原幸三郎住宅」があります。
「角海浜」の典型的な民家を見ることができ、当時の暮らしぶりを知ることができる貴重な資料です。
残念ながら普段は外観しか見ることができませんが、イベント時には公開されることもあるので、興味のある方は「新潟市教育委員会」までお問い合わせください。
 
今回は数奇な運命の果てに地図から消えた「角海浜村」の面影を探して、さまざまな資料や建物を回りました。
かつて新潟に、そんな村があったことを知っていただければうれしいです。

角海浜村面影めぐり

この記事を書いた人
田中新之助(たなかしんのすけ)

新潟を愛する万年新米ライターです。持ち前の粘り強さで味わい深い記事を書いていきたいと思ってます。とくに観光ガイドには載っていないような、新潟の珍スポットや変スポットに力を入れて紹介していきたいです。