オサム歩゜~オサムちゃんと巡る矢沢宰の故郷~/見附市


2024年11月11日 718ビュー
長岡・柏崎地域振興局★ふらっと旅を楽しみ隊の村上徹です! 

僕は2016年から見附市公式レポーターとして、市のSNS上で「みつけマンガ」を連載しています。
マンガやイラストで見附市の文化やグルメ、歴史や暮らしをレポートしています。
が!今回はSNSという枠を飛び出し、初のブログスタイルで知られざる見附市の魅力をたっぷりの手描きイラストと共にご紹介!

1 初めまして!矢沢宰

14歳の少年が書いた詩が、66年後の令和6(2024)年、1冊の詩集となって書店に並んでいる。
この事実に、どうしようもなく震えます。

少年の名前は、矢沢 宰(やざわ おさむ)(1944年5月7日生まれ~1966年3月11日没)。

新潟県見附市河野町(がわのまち)出身。
8歳で腎結核を発病し、以来青春と呼ばれる時期の大半を病床で過ごし、常に死と隣り合わせ(処女詩集のサブタイトルが「第一に死が」という壮絶っぷり!)でありながら、生命力に満ちた美しい500編余の詩を遺し、21歳で亡くなった矢沢宰。
ちなみにアンパンマンの作者・やなせたかしさんは宰を「唇に真珠をふくんだ詩人」と呼び、生涯その作品を愛したといいます。
こんな風に紹介すると「可哀そう…」「天才は早死になんだね…」と、宰に暗いイメージを植え付けてしまいそう。
確かに彼は、死と戦い続ける一生を送ったけれど、そこから生まれた詩から透けて見えるのは「生きること(死ぬこと)」「愛すること(愛されること)」の答えを得ようと、病床の上に広げたノートの上で必死にもがく、ひとりの若者の姿です。

矢沢宰を「夭折の詩人」とあがめたてまつるより、自分が壁にぶち当たった時に「絶望のプロ」「苦悩の鬼」「落ち込む達人」(言い過ぎ?)としての矢沢宰を、詩を通じて身近に感じることの方が、何万倍も励みになります。

宰は決して「悲劇の詩人」なんかじゃない!
そんな思いが積もり積もって、生まれたキャラクターが「オサムちゃん」です。
見附の市報「広報みつけ」上で2020年6月から連載中の、宰の詩をモチーフにした4コマ漫画『オサムちゃんみぃつけた!』の主人公です。
今日はこのオサムちゃんと一緒に、矢沢宰の故郷である見附市河野町をのんびり歩きながら、詩の原風景となったゆかりのスポットを訪ねてみたいと思います。
宰が生きていた頃にあって、今も残る風景。
かつてはあったけれど、もうない風景。
どちらにせよ、河野町に映えるスポットはありません(笑)。でも、それらは宰本人が生前、ずっと想い焦がれていた景色です。
オサムちゃんと一緒にお散…いや、「オサム歩゜」(おさむぽ、と読んで頂きたい!)に出かけませんか?唇に宰の詩を含んで!

  『詩の散歩』
 コロコロと 桃色の玉や 紫の玉や 緑の玉やを 上手に使いわけ
 詩が朝の散歩に 行きました

2 矢沢宰資料展示室

オサム歩゜のスタートは、まず矢沢宰の生涯と詩を知ってから…。
とはいえ、いきなり詩集を一気読み!…はハードルが高すぎるので。
宰が通っていた(といっても2年弱)上北谷小学校跡の隣に建つ、上北谷公民館内にある矢沢宰資料展示室からスタートするのがベスト!

ここには詩の紹介パネルや書籍、貴重な自筆ノートのコピー、宰が描いたスケッチや水彩画(これがまた上手い!)、数少ない宰の写真などなど、彼に関するさまざまな資料が展示してあります。ドキュメンタリーDVD(各種あり!とても1時間じゃ観きれません)も視聴可能です。
ここで矢沢宰の基礎知識を頭に入れておくと、オサム歩゜が10倍充実すること請け合い!
  『ききょう』
 おまえは 本当に健康そうだね
 つぼみは ちょっとさわれば はじけそうだね

3 上北谷駅跡と刈谷田川サイクリングロード

17歳になった宰は三条結核病院を退院し、5年ぶりに待望の自宅生活を始めます。
そしてその年の春から、県立栃尾高校に通います。1963年4月のことです。
通学に使っていたのは、今は無き栃尾鉄道、通称「トッテツ」!
1973年に廃線になりましたが、この頃は見附と栃尾を結ぶ重要な交通手段でした。
宰が高校時代利用していた「上北谷駅」は公民館から徒歩3分。
発病前、小学1年生だった宰の教室の目と鼻の先に、マッチ箱の愛称で親しまれた小さな車両が行き来していました。
  『電車』
 雲が流れてきて止まり 小さなトンネルを 出たばかりの電車が その影をひろった。
 線路わきのタンポポは 何事もなかったように またゆれた。

4 河野橋~上北谷小学校

上北谷バス停から歩いて5分程で河野橋。この橋を渡れば宰のふるさと河野町です。
SNS映えする風景や、とっておきのグルメが堪能できるお店があるわけじゃないけれど、何もかもが手に入る街を歩く時とは違う、ほのぼのと優しい時間が流れています。
発病しなければ宰が通うはずだった上北谷中学校(1979年閉校)の跡地に建つのが、現在の上北谷小学校。宰の後輩が今も元気に通っています。
  『命の』
 命の装いがキラキラと整った村を 自転車が通りぬける
 梢のトンネルの中にベルの音がはずむ ほら 両手を離しても走るよ

5 生家前の諏訪神社

小学校から歩いてほんの数分で、宰の生家前の諏訪神社に着きました。
幼い宰にとって最も身近な遊び場だったはず!
ここから四季を通じて眺めたふるさとの景色は、その先に待っている永い入院生活において、かけがえのない宝物だったのかもしれません。
  『一本のすじ雲』
 一本のすじ雲 このはてしない青空に 何かと何かを結ぶかのように 夕日で銀色にそまる
 僕は好きだ この一本のすじ雲が

6 杉沢橋へ

諏訪神社から杉沢地区方面へ歩きます。田んぼと野山に囲まれたのどかな一本道。
車で通過すればあっという間のどうってことのない道ですが、てくてく歩くと本当に気持ちの良い「まっすぐな道」。川が近いせい?森が近いせい?遠い記憶が蘇りそうな、爽やかで透明な風が吹き抜けます。
幼い日の宰はきっと、釣り竿とびくを持って、この一本道を駆け抜け、林の向こうに流れる刈谷田川に向かったんだと思います。
ゆっくり歩いて15分ほどで、杉沢橋に到着です。
橋の下を流れるのは刈谷田川。今は草木がうっそうと茂っていて、とても河原までは降りられません。
  『少年』
 光る砂漠 影をだいて 少年は魚をつる
 青い目 ふるえる指先 少年は早く 魚をつりたい

7 再び河野町~矢沢宰の墓碑

  『入道雲』
 大男になって またいだり よじ登ったり いっきにかけおりたりして
 ふるさとへ帰りたい


こんな詩を書くほど、宰が渇望していた故郷・河野町に再び戻ってきました。

宰は1963年の3月、5年の入院生活にようやくピリオドを打って退院。
日記に「うれしくて、どうしていいかわからない。」「もう、胸がいっぱいで、書けないや。」と書き記すほどの喜びの中、この町に帰ってきました。
ここから約2年、宰は実家で生活しながら、遅れて来た青春を謳歌します。

宰が暮らしていた頃と、景色はずいぶん変わったはず。けれど、この町を吹く風の匂いはきっと
何一つ変わっていない気がします。

  『なすの花』
 なすの花 土と汗の匂い みどりの山々を背に うすむらさきにのぼるけむり
 口笛に山羊の鳴き声
散歩の締めくくりは、上北谷小学校の脇に建つ、矢沢宰の墓碑へ。
この墓碑は彼の13回忌に建てられたもので、代表作《風が》の詩が、宰の直筆で刻まれています。
墓碑の前でしゃがみ、手を合わせ、この短い詩をゆっくり声に出して読みます。

『風が』
あなたのふるさとの風が 橋にこしかけて あなたのくる日を待っている


宰の詩に似た、潤いのあるあたたかい風が、ふと頬をなでました。
そういえば、オサム歩゜の間中、ずっと心地よい風が吹いていたことに気付きます。宰が風になって一緒に歩いていたのかな?

ずっと昔に亡くなった、会ったことも喋ったこともない詩人が、とっても身近に感じられるオサム歩゜。
秋から初冬にかけての、人懐かしいこの季節にピッタリです。
雪が降る前に、ぜひ新潟県見附市河野町へお越しください。

矢沢宰が。
オサムちゃんが。
橋にこしかけて あなたのくる日を待っています。
【おしまい】
※矢沢宰のご遺族のご厚意で詩を掲載しています。また、「オサムちゃんみぃつけた!」も見附市より転載許可を得ております。末筆ではございますが、快くご承諾頂き心から感謝申し上げます。

文責/村上徹(デザイナー、イラストレーター、「オサムちゃんみぃつけた!」作者)
この記事を書いた人
長岡・柏崎地域振興局★ふらっと旅を楽しみ隊

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