明治時代以降の佐渡金山の歴史「相川郷土博物館」/佐渡市


2025年10月12日 24ビュー

2024年5月リニューアルオープン

こんにちは!縄文好きなバスガイドなぐもです。
佐渡金山の歴史は江戸時代までさかのぼりますが、明治時代以降の歴史資料を展示しているのが「相川郷土博物館」です。
映画の世界に迷い込んだようだとして人気の「北沢浮遊選鉱場跡」の隣にある博物館なので、合わせて訪れたい施設。

明治時代以降の佐渡金山

金は、貨幣の材料にもなる貴重な鉱物です。
少しでも多くの金を取り出そうと技術が改良されました。
明治時代になると、西洋の最新技術が導入されて近代的な鉱山へと様変わりしていきます。
入り口を入るとすぐに「天井にご注目ください」の案内が。
見上げると天井の一部が切り取られ英字新聞が見えています。
これは、天井の下地材として使用されていたもの。
明治時代に発行された英国や米国発行の英字新聞で、鉱業や経済の専門紙です。
当時、佐渡鉱山で購読され、外国の最先端技術情報を集めていたことがわかる資料をそのまま展示しています。
大きな地図が広がり、金山周辺の様子が体感できます。 また、当時、佐渡金山の坑内で実際に働いていた坑夫さんのインタビュー動画の展示もありました。 海外から機械が導入され、効率よく鉱石を採取できるようになったことを語ってくれています。

手作業から機械化へ

手作業で採掘を行っていた江戸時代の道具と、機械化された明治時代以降の道具の違いを知ることができます。
照明器具は江戸時代は「灯明皿」という油を張って灯す道具から、明治以降は「アセチレン灯」というガスを使った道具に変化しています。
江戸時代には「天辺(てへん)」という紙で作ったこよりを固く編み込んだ安全帽でしたが、明治以降はランプ付きのヘルメットへと変化しています。
博物館の隣の選鉱場跡には、シックナーという佐渡金山の遺構が残されています。
シックナーは、鉱石を泥状にしたものを回転させて鉱物を分離するための施設です。
ここでは、動画を使ってどのように分離させたかわかりやすく展示しています。
パネルをめくると答えが出る「クイズコーナー」で、かつての様子を学ぶことができます。
ロープウェイで運ばれていたものは何かな?
明治から昭和にかけて佐渡鉱山の本部事務所として使われていた「鉱山事務所」と皇室の財産を管理する宮内省の「御料局」をそのまま博物館としており、建物自体が貴重な文化財です。
階段や柱や梁など、幕末から明治にかけて見られる建築の特徴があります。
明治から大正にかけての皇室ゆかりの品は、静寂の中に美しく輝きを放っていました。
佐渡出身の漫画家「赤坂アカ先生」の博物館オリジナルキャラクターが出迎えてくれます。
 

すぐとなりに「北沢浮遊選鉱場跡」と「50mシックナー」

「北沢浮遊選鉱場跡」までは、徒歩30秒
50mの「シックナー」までは徒歩45秒です。
博物館の目の前に停留所がありますから、路線バスでのアクセスも可能です。
江戸時代に発見された佐渡金山の繁栄は、佐渡の歴史や文化を大きく変えました。
手作業で採掘が行われていた江戸時代の様子は佐渡金山坑内の見学で見られますが、ここでは近代化された明治時代以降の様子を詳しく紹介しており、日本を代表する鉱山へと発展し日本の近代化を支えた資料を見学することができます。

2024年にリニューアルした「相川郷土博物館」へ、ぜひ、お越しください。

相川郷土博物館

<入館料>
大人300円 小・中学生100円
<開館時間>
8:30~17:00
<休館日>
年末年始(12月29日~1月3日)

相川郷土博物館

この記事を書いた人
にいがた県内専門バスガイド なぐも 友美

旅行商品の企画・乗務。新潟県の魅力を発信し続けている。バスガイド歴30年以上。
「縄文イラスト作家」コロナ渦をきっかけに火焔型土器のイラストをデザインし商品化。
趣味は、新潟地酒を飲むこと・博物館と温泉めぐり。