生きている秘境「秋山郷」。大自然の中に人々の生活が見える/津南町


2023年09月04日 6168ビュー
幕末の彫刻家である石川雲蝶の専門ガイド、中島すい子さん。雲蝶について語るとき、目をキラキラとさせて、熱量も高く語る中島さんは、エネルギーをたっぷり放出しているように感じます。その中島さんが、雲蝶以外にも、キラキラと目を輝かせて語るテーマがあります。それは「秋山郷」です。

秋山郷とは?「日本の秘境100選」に選ばれているそうです。

新潟県と長野県を跨ぐ20キロほどの中津川渓谷を指して言います。全国に秘境と呼ばれる場所は数多くあるわけですが、「生きている秘境」というのは珍しいのではないでしょうか。秋山郷では、苗場山と鳥甲山の斜面にある小さな13集落が、自然と共存しています。
 
シバゴー「でも、行くのが大変じゃありませんか?」
中島さん「全然。車に乗って1時間もあれば着きますよ。」
ものすごく遠いイメージなのですが、調べてみると、越後湯沢駅、または南魚沼市の塩沢駅と六日町駅、どこから向かっても約40キロ、車で50分程もあれば、秋山郷の新潟県側の入口、見玉(みだま)集落に着くようです。
 
シバゴー「道路が細くて、対向車と行き交えないんじゃないですか?」
中島さん「そういう箇所もありますけど、譲り合えば大丈夫ですよ。」
シバゴー「お昼を食べる場所もないんじゃないですか?」
中島さん「いやいや、ありますよ。」
シバゴー「トイレに行くのも大変じゃないですか?」
中島さん「大丈夫ですよ。秋山郷は、秘境といっても、人々が暮らしている、生きた秘境です。本当に素敵な場所なので、あんまり心配しないで、とにかく行ってみましょう。」
 
行ってきた結論としまして、心配しすぎでした。高い山々は道路から近く、渓谷は深く険しいのですが、人々がそこに暮らしているわけでありまして、その光景に感動しました。ただし、道は、ほそ~い場所もありますし、コンビニもありませんので、それなりに慎重になって行った方がよろしいかとは思います。
 
今回は、新潟県側の津南町のみの取材として、「津南見玉公園」「猿飛橋」「見倉橋」「結東の石垣田」「前倉橋」を行程としました。

秋山郷の観光トップシーズンは紅葉時期

新潟県観光協会のYouTubeチャンネルで、【NIIGATA-SORADORI】「日本の原風景 秘境秋山郷の紅葉 津南町」動画(2分5秒)がご覧いただけます。すばらしく美しい光景が収録されていますので、ぜひご覧ください。紅葉時期は、目安として10月中旬から11月上旬頃ですが、中島さんによると「11月半ば頃まで十分楽しめますよ。」とのことです。
【NIIGATA-SORADORI】日本の原風景 秘境秋山郷の紅葉 津南町

中島さんのガイドまたはツアーがおすすめです。

<画像提供:中島すい子さん>
 
私は、中島さんにガイドを依頼しました。どなたでも有料でガイドをご依頼できます。ご依頼とお問合せは中島さんまで。電話:090-1550-8287
中島すい子観光ガイド事務所

中島すい子観光ガイド事務所

ガイドのご依頼・お問い合わせは、電話:090-1550-8287 まで。

秘境・秋山郷巡り
◆1日コース ¥15,000
◆半日コース ¥7,500
※金額は、どちらも消費税込み。現金払いのみ。料金については必ず予約の際にご確認ください。

まずは、秋山郷の入口「見玉」集落にある公園へ。

津南見玉公園へ向かいます。駐車場から遊歩道に入ると、すぐにジオサイトの一つである「石落とし(柱状節理)」が見えます。

シバゴー「こんなに雄大な景色を、公園内で気軽に見られるなんて、いいですね。」
中島さん「この公園は、5年の歳月をかけて、集落の有志の方によって作られたんですよ。」
 
私が写真を撮っていると、中島さんが「展望台が先にありますよ。」と教えてくださり、遊歩道を5分ほど歩いて向かいました。
広場に出ました。ここが展望台かな?と思っていると、中島さんが「そこの石の辺りまで行ってみてください。」と言われました。
中津川が通り、右手の方に、遠くの町が見えました。
シバゴー「うわあ、きれいな眺めですね。」
そして左手には、「石落とし」が見えました。柱状節理が崩れる時、ガラガラと音をたてて落ちることから、このように呼ばれるようになったそうです。
中島さん「柱状節理は2段になっていますでしょう。下は魚沼層群で、その上に苗場山の溶岩が流れて、このようにできたんですね。海底火山や地殻変動で大地が動き、80万年前に見られた柱状節理が目の前に迫ってくる様子は余りにも豪快で、現代人である事を一瞬忘れてしまうほどです。」
シバゴー「80万年前…、想像し難いくらい、長い時間が経過しているんですね。」
中島さん「私たちがいくら生きたって100年がせいぜいですから、まばたきのようです。長い年月の足跡を、はかない私たちが肉眼で見られる。感慨深いですね。」

鈴木牧之が魅了された「猿飛橋(さるとびばし)」。

見玉から、いよいよ山深い渓谷の集落へ入って行きます。約3km、車で国道405号線を約5分走ると、猿飛橋があります。現代はもちろん車で渡れる橋ですが、鈴木 牧之(ぼくし)が訪れた約200年前には、両岸の狭いところに2本の長い木を渡し、横に柴を組み合わせた橋だったようです。
河原まで下りてみると、青のような緑のような川の水が、透明ではないのですが、「ああ、水がきれいなんだな」と思える美しさでした。写真だといまひとつ発色が悪くて残念。牧之は「深い水は藍色によどんでいる。」「素晴らしい木の形、不思議なかっこうの岩。川上から川下まで目を奪い、いつまで見ていても見飽きない。」と書いているそうです。
 
中島さん「牧之は、とてもスリリングな橋を渡ったと書いています。相当、怖かったようですね。」
シバゴー「この橋を渡らないことには、昔は先に進めなかったのですから、必死ですよね。」
中島さん「橋は、小さな集落がお互いに助け合いながら生き抜いてきた、なくてはならない存在でした。長い年月に、度重なる災害で多くの橋が消えてしまい、人口減少の中でそれを修復する事さえも不可能のまま、現在に至っています。この橋も、道の先にある逆巻集落には1軒しかなく、橋の行く末が心配です。」

鈴木牧之について。ご存知でしょうか?

ここで少し註釈を。私たち、南魚沼市民にとって牧之は有名な存在でありますが、皆さまはご存じでしょうか?
 
明和7年(1770年)に塩沢宿(現在の南魚沼市塩沢)で、縮(ちぢみ)の仲買と質屋を営む家に生まれ、天保8年(1837年)に『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』初版3巻を刊行し、大変な反響を得たという人物です。文政11年(1828年)には秋山郷を探訪し、『秋山記行』を書きました。

「石垣田」がある「結東(けっとう)」集落

猿飛橋から国道405号線を約2km、更に長野県方面へ進むと、結東という集落があります。このような山深くに、それも石を積み上げた棚田がある集落です。
 
中島さんから「国道405号線を行けば集落には着きますが、東秋山林道を通って、ビュースポットから集落を眺めてみましょう。」と提案を受けました。
ビュースポットは2カ所ありましたが、どちらも草や木で見渡しにくかったです。石垣田が見えました。集落は少し見えにくかったので、ビュースポットより上がる道を行ってみたら見えました。
シバゴー「本当に、山の中に集落があるんですね。平地がすごく少ないのが分かります。わずかな平地に家がやっとある感じです。」
中島さん「魚沼の山の中にだって集落はありますが、山深さが桁違いな気がしますね。飢饉で滅んだ村もありますし、昔は過酷な生活だったんでしょうね。」

県境近くの「前倉橋」は人気の撮影スポット

東秋山林道を抜け国道405号線に合流すると「小赤沢」の集落があります。ここからは長野県です。小赤沢から新潟県側に国道を戻ると、前倉橋があります。

中島さん「ここは、新潟の橋50選に選ばれています。赤い鮮やかな橋が、周辺の紅葉と中津川のエメラルドグリーンに映えて美しいということで、秋山郷の中で人気の撮影スポットになっています。」
交通量が少なかったので気を付けながら、橋の上から撮影しました。苗場山麓で一番古い結東層(約1800万年前~1500万年前の日本海ができ始めの頃の地層)にかかるそうです。
シバゴー「紅葉の時期、きれいでしょうね。」
中島さん「唯一、秋山郷の道路が渋滞するのは、紅葉の期間でここ、前倉橋なんです。」
中島さん「この橋には重量制限があって、更に橋を渡るカーブが急なため、大型のバスが曲がり切れません。秋山郷が小型、マイクロしか入れないのはこんな事情があるからなんです。」

「結東」から「見倉」にかかる吊り橋の「見倉橋」

前倉橋から国道405号線を新潟県側に進むと約5キロ(車で約10分)に結東集落があります。ビュースポットから見えた集落ですね。来てみると、想像したより軒数があるように感じました。
ここ「結東」集落と、「見倉」集落を結ぶ「見倉橋」へ向かいます。駐車場から、勾配のある遊歩道を下りて行きます。
 
シバゴー「結東橋じゃなくて、見倉橋なんですね。結東の方が大きな集落ですが。」
中島さん「秋山記行には、三倉村橋之図、と書かれていますね。今、見倉集落は3軒しかないそうです。」
シバゴー「昔は、見倉の住民が多く必要としていたからですかね?橋をかける材料を出したとか?」
中島さん「分かりませんが、子供たちは、結東の学校へ、この橋を渡って通ったそうです。冬の間も、親が朝晩と道踏みや除雪をして。見倉の子供は、この橋がなければ学校へ通えなかったわけで、本当に必要な橋だったんでしょうね。」
映画『ゆれる』(平成18年カンヌ国際映画祭出展作品。監督:西川美和、主演:オダギリジョー)のロケ地ということで有名です。
シバゴー「うわ、思ったより不安定なんですね。怖くありません?」
中島さん「真ん中を歩くといいですよ。」
高所恐怖症の人は渡れませんね。本当に「ゆれる」のです。
すいすいと歩いて行く中島さん。いや、真ん中を歩いても、結構揺れます。映画では、人が落ちるシーンがありますよね。怖い人は誰もいないタイミングを狙って一人で渡って、すり足で歩くとよいかもしれません。
中島さん「秋山記行の絵では、大きな岩の窪みの部分に橋が架かっていますね。あの岩かしら。」
中島さん「牧之の絵では、岩の中に道が付いていて、此岩ノ合道アリ、と書かれています。両岸から真ん中の岩まで吊り橋を掛けて、岩の間は道を付けて歩いたようです。」
シバゴー「絵の方が、もっと大きい川に見えますね。」
中島さん「200年も経てば、変わるんでしょうね。昔は、もっと川が広くて激流だったのでしょう。」
橋を渡り、見倉側に着きました。渡ってきた橋を振り返ると、木が茂り暗くなった先が、鬱蒼として見えます。ここから見倉集落まで向かうには、かなり勾配がある道が最初に見えます。中島さんによると、ジグザグの急勾配がずっと続くそうです。
 
シバゴー「ここから歩いて集落まで行ったら、どのくらいかかりますか?」
中島さん「私が歩いて下り20分、上り35分。小学生になったばかりの子供も、みんなと一緒に歩かなければなりませんでしたから、大変だったでしょうね。」

生きるための執念の結晶、「石垣田」

江戸時代、秋山郷では、穀物をはじめ、農産物の収穫が極めて少なく、天明・天保の飢饉では、多くの村が滅びてしまいました。そんな背景の中、明治時代の始め、「石垣田」の開墾が始まりました。(2014年発行のパンフレットより)
シバゴー「手前側は、もう止めちゃった田んぼが見られますね。」
中島さん「3割くらいは耕作していないようです。住民の高齢化も、理由なのかもしれませんね。」
中島さん「昔の人は、米が欲しくて欲しくて、そのためにはどんな労力も厭わなかったんでしょう。この辺りは溶岩台地だから、掘ればどんどん石が出てくるわけです。その石を、ひとつずつ積み上げて作っていった。その執念といったら。」
重機などない時代、作業は難航しました。中には5人がかりで3日間もかけて動かした巨石もあると言われています。その石垣は積み方にも工夫が施され、現在でも殆ど当時のまま残されています。(2014年発行のパンフレットより)
中島さん「現代の私たちは、なんと贅沢に暮らしていることでしょう。子どもたちも、少しお腹が空くと、死にそう、なんて簡単に言います。1週間も10日も食べ物がなくてお腹を空かせたことも、ヘビやカエルやトカゲを食べて命を繋いだこともないのにね。」
中島さんが「カラムシが生えていますね。葉の裏側が白いでしょう。」と、めくって見せてくれました。
 
中島さん「カラムシは麻織物の原料です。今でこそ麻織物は高級品ですが、昔は普段着で、秋山郷でも、袖なしのようなアンギンを着ていました。今は、もうカラムシなんて必要ないから誰も採らなくて、生い茂るのね。」

「秋山郷ほど心を鷲掴みされる秘境はない」と中島さん。

「秘境」と聞くと、ものすごい山の中というイメージがありましたが、人々が生活している、生きた秘境だということが実感できました。今回は夏の訪問でしたが、観光トップシーズンは紅葉時期。これからの季節が楽しみです。
<写真提供:中島すい子さん>
 
中島さん「秋の紅葉は、それはもう感動しますよ。秋山郷は山一面が真っ赤になるところもあり、山全体が紅葉するというのはとても魅力的です。」
 
シバゴー「来る前は正直、不安な気持ちがありましたが、来てみたら、不安は吹っ飛びました。」
中島さん「四季折々の風景は、どこに行ってもすばらしいですが、秋山郷ほど心を鷲掴みにされる秘境はありません。冬もまた、すばらしいですよ。それも2月頃、スノーシューを履いても腰まで雪に沈んでしまうくらいの時期。いくら言葉にしても語り尽くせません。ぜひ、実際に訪れていただきたいと思います。きっと、みなさんも秋山郷の虜になりますから。」

秋山郷マップ

この記事を書いた人
シバゴー

南魚沼市在住。趣味は写真撮影と読書で、本で調べた所へ行って写真を撮ることをライフワークとしています。神社彫刻が好きで、幕末の彫刻家・石川雲蝶と小林源太郎、「雲蝶のストーカー」を公言する中島すい子さんのファン。地域の郷土史研究家・細矢菊治さんや、地元を撮影した写真家・中俣正義さん、高橋藤雄さんのファンでもあります。