多くの文化人から愛された文禄元年創業の老舗和菓子店「大杉屋惣兵衛」/上越市


2024年11月02日 1109ビュー
江戸時代のさらに前から続くという由緒正しき和菓子店が上越市にあります。その名は大杉屋惣兵衛。創業文禄元年(1592年)で、開業時は飴屋でした。和菓子を作り始めたのは昭和に入ってからです。

県内最古の和菓子店

先代店主の宮越光昭(こうしょう)さん(故人)は、写真家の濱谷浩や陶芸家の齋藤三郎など、多くの文化人と付き合いがあり、それが縁で誕生した菓子もあるとか。それらは今も店の看板商品として店頭に並んでいます。
お菓子と文化。何だかワクワクする響きですね。今回は県内最古と伝わる和菓子店の魅力をたっぷりとお届けします。
創業時は、現在地より春日山寄りの土橋という村の北国街道沿いに店があったそうです。この街道は地元では加賀街道とも呼ばれていました。宮越光昭さんの長女で、現在大杉屋惣兵衛本店の店長を務める村山比呂美さんは「加賀藩の参勤交代の道としても使われていた江戸時代のメインストリートだった」と話します。
画像は「北越商工便覧」に掲載されたもの。
大杉屋は「越後追分の大あめや」として知られる人気店だったそうです。江戸時代に建てられた飴工場が、2024年1月の能登半島地震で被害を受けたことで、残念ながら飴作りは現在休止中です。

文化人との交流から生まれた和菓子

高田は戦時中、疎開などで多くの文化人が集まっていました。その一人が陶芸家の齋藤三郎です。栃尾(現長岡市)出身で、後に人間国宝となった富本憲吉に師事。サントリーの創業者・鳥井信治郎の自宅にある寿山窯で作陶活動をした後、独立します。実兄が高田寺町の久昌寺住職であったことが縁で高田に移住してきました。いつしか齋藤の元に高田の若者らが集まるようになり、その中に宮越光昭さんもいたのでした。
戦後、状況が落ち着くと東京などに戻る人がほとんどでしたが、齋藤は高田に腰を落ち着けました。度々大杉屋を訪ねては「こんなお菓子はどうだろうか」と提案。齋藤考案の菓子がいくつも誕生しました。その一つが「この春」。宮越さんが「空也もなか」(夏目漱石が愛した最中)のような小ぶりの最中が好きだと何気なく伝えたところ、齋藤が椿の花が2つ並んだ小型の最中を考案し、サンプルの型も作ってくれたそうです。「この春」は主力商品となりました。販売は1月から7月まで。それ以降は、栗をかたどった「この秋」を販売します。(この春、この秋共に1個140円)
こちらも最中。その名も「天心」(1個216円)です。日本美術院を創設した岡倉天心は晩年、妙高市赤倉の別荘に度々訪れており、そこで亡くなります。没後、追悼茶会を開くことになり、大杉屋にお茶菓子の依頼が来ました。その時に作った餅入りの最中が好評で、店で売ることになったそうです。ご縁にちなみ「天心」と名付けました。こちらの菓子デザインも齋藤三郎によるものです。
薄い種(生地)で餡をはさんだ「雪あかり」。大杉屋のホームページでは「梅あん,味噌あんの二種を京種にはさんで雪国の情緒をかそけき姿に託しました」と紹介されています。このお菓子は「パッケージデザイン、イラスト、味、全てが齋藤三郎プロデュース」です。梅あん、味噌あん、ともに1枚76円。
こちらも齋藤三郎プロデュースの「天上大風」(1枚56円)です。この文字は、凧揚げをする子どもにねだられて、良寛さんが「よく揚がるように」と描いたもの。そのため、同店菓子の中でもっとも軽いふやき煎餅に、良寛さんの文字を焼き付けてあります。

陶芸家、齋藤三郎のセンスが光る

包み紙のデザインも齋藤三郎によるものが多く使われています。お菓子を箱買いして包んでもらってコレクションしたいですね。
近年は喫煙者が減り需要が少なくなりましたが、かつてはいろんなお店がノベルティとしてマッチを配っていました。大杉屋惣兵衛のマッチのラベルデザインも齋藤が手掛けていました。何とも贅沢ですね。(現在マッチの配布は行っていません)
こちらは上越出身の童話作家・小川未明の代表作にちなんだお菓子、その名もずばり「赤いろうそくと人魚」(1個151円)です。鳳瑞という和風のマシュマロのような生地に、小豆と物語にちなんで赤いろうそくに見立てた紅羊羹が入っています。パッケージのイラストを手掛けたのは、同じく上越出身の作家・杉みき子さんの本の装丁や挿絵を多く担当してきた画家の村山陽さんによるものです。
宮越光昭さんは、若い頃に東京の小川未明を訪ねたことがあります。その時に未明が「中学校の通学路沿いに、大杉屋があった。いつも飴を舐めたいと思っていたが、小遣いがないので我慢していた」という思い出語をしてくれたそうです。

世界的写真家、濱谷浩との思い出

高田文化が花開いた頃の様子を、宮越さんは『このまちで出会った人びと』という著作に残しています。前述の齋藤三郎をはじめ、堀口大学會津八一棟方志功などが高田を訪れています。その著書に度々登場するのが写真家の濱谷浩です。ロバート・キャパらによって結成された国際的写真家集団マグナム・フォトのアジア人初の会員となったり、写真界のノーベル賞と言われるハッセルブラッド国際写真賞を受賞したりと、世界的に活躍した人物です。
濱谷も疎開で高田に暮らした一人でした。高田文化サロンの一員として、宮越さんも自然に親しくなっていったそうです。神奈川県大磯町に移ってからも撮影で度々訪れ、その時に常宿のようにしていたのが大杉屋でした。宮越さんは、濱谷の撮影にアシスタントとして同行したことが何度もあるそうです。
上の写真は左が若き宮越光昭さん、右が濱谷浩です。
濱谷との付き合いから誕生したお菓子もあります。ある時、大磯の濱谷邸を訪ねた宮越さんは、玄関の敷物に雪の結晶がデザインされていることに気付きました。それは、鈴木牧之の「北越雪譜」に出てくる紋様を気に入った濱谷が、わざわざ特注で作らせたものだったそうです。それに着目した宮越さんは、木型職人にデザインを依頼。誕生したのが干菓子「六華(むつのはな)」です。
宮越さんと濱谷の交流は生涯続きました。店舗の壁に飾ってほしいと濱谷さんがプレゼントしてくれたのがこちら。上越市桑取谷の民俗行事を追いかけた写真集『雪国』に登場する『鳥追い』です。店舗奥に展示してあり、買い物ついでに見ることができます。
濱谷作品と合わせて、齋藤三郎の陶芸品も展示されています。

もっと齋藤三郎について知りたいという方におすすめなのが、同じ上越市にある樹下美術館です。齋藤作品を展示したいという思いから作られた私設の美術館で、カフェでは軽食とスイーツも楽しめますよ。

上杉謙信にちなんだ羊羹

大杉屋を代表する菓子と言えばやはり羊羹でしょう。「第一義」は沖縄・波照間産の黒砂糖を使っており、ずっしりとした食べ応えがあります。「春日山」は北海道産の大納言小豆をたっぷり使った軽い口あたりが特徴です。どちらも題字は謙信公の自筆を使わせてもらっているそうです。(いずれも1,512円)
他にも6年ぶりに復活した「塩送(しおくり)羊羹」や、濃茶味と珈琲味がある「雪室羊羹」(どちらも2本セット540円)などもありますので、ぜひ食べ比べてみてください。

お馬出し店と絵看板プロジェクト

大杉屋惣兵衛本店から700メートルほど南に進むと、大杉屋惣兵衛お馬出し店があります。
店主の宮越紀祢子さんは、歴史ある商店街をPRしようと「高田本町百年商店街プロジェクト」を立ち上げ、老舗店の前に絵看板を設置する活動などに取り組んでいます。
店の奥は器や洋服、人形などの小物を扱う和雑貨のスペースになっています。
お馬出し店の前には、かつての看板商品だった粟飴の絵看板が置いてあります。江戸時代は飴をなめて疲れを癒やす旅人で、賑わっていたそうです。大杉屋惣兵衛2店舗をはしごしながら、本町商店街の絵看板を見て回るのも楽しいですよ。

大杉屋惣兵衛 店舗データ

大杉屋惣兵衛本店
住所:上越市本町5-3-31
TEL:025-525-2500
営業時間:9:00-17:00
定休日:木・日曜日

大杉屋惣兵衛お馬出し店
住所:上越市本町3-3-7
TEL:025-525-2501
営業時間:10:00-18:00
定休日:水曜日

大杉屋惣兵衛

この記事を書いた人
和田明子

長岡市のリバティデザインスタジオで、夫とともにグラフィックデザインやコンテンツ制作を行う。アート、映画、文学、建築、カフェ巡り、旅行、可愛いものが大好き。ウェブマガジン「WebSkip(https://webskip.net/)」も細々と更新中