山の中の「ごっつぉ」?昔の「熊獲り」と「ジビエ料理 森のうた」/湯沢町・南魚沼市
2025年01月09日
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湯沢町や南魚沼市の辺りでは、ご馳走のことを「ごっつぉ」という方言で言います。私はよく、湯沢町在住の小林守雄さん(昭和6年生まれの93才)から昔の話を聞くのですが、特に興味深いのは、日々の暮らしについての話です。
昔の「ごっつぉ」は何だった?
シバゴー「昔のごっつぉといえば、動物の肉でしょうか?イノシシとかウサギとか。」
小林さん「いや、そういがは食わんかった。」
シバゴー「えっ、どうしてですか?」
小林さん「本家が“願掛け”してたすけ、四つ足は食わんかったがだ。」
シバゴー「ガンカケって何ですか?」
小林さん「まあ、一種の信仰だね。」
シバゴー「そっか、食べなかったんですね。食糧難の時も?」
小林さん「建前ではね。食い物が無かったときなんて、木の根っこ以外は何でも食ったよ。」
小林さん「いや、そういがは食わんかった。」
シバゴー「えっ、どうしてですか?」
小林さん「本家が“願掛け”してたすけ、四つ足は食わんかったがだ。」
シバゴー「ガンカケって何ですか?」
小林さん「まあ、一種の信仰だね。」
シバゴー「そっか、食べなかったんですね。食糧難の時も?」
小林さん「建前ではね。食い物が無かったときなんて、木の根っこ以外は何でも食ったよ。」
ごっつぉはモチ!
シバゴー「では、昔のごっつぉって何だったんですか。」
小林さん、即答で「モチだね。」
シバゴー「モチ!!」
小林さん「昔は米が貴重だからね。モチを作るには、コメをいっぺ使うすけ、贅沢品だ。」
シバゴー「へえ、モチねえ…。」
ちなみにこの写真は、小林さんの故郷(魚沼市)で撮っていますが、山菜がたくさん採れる所です。
シバゴー「山菜もごっつぉですよね。」
小林さん「山菜なんて…。あっけん、草でしかねえすけ。」
山菜はごっつぉではないそうです(笑)
小林さん、即答で「モチだね。」
シバゴー「モチ!!」
小林さん「昔は米が貴重だからね。モチを作るには、コメをいっぺ使うすけ、贅沢品だ。」
シバゴー「へえ、モチねえ…。」
ちなみにこの写真は、小林さんの故郷(魚沼市)で撮っていますが、山菜がたくさん採れる所です。
シバゴー「山菜もごっつぉですよね。」
小林さん「山菜なんて…。あっけん、草でしかねえすけ。」
山菜はごっつぉではないそうです(笑)
山の中なのに、意外と馴染みの無いジビエ料理
「ジビエ」とは、狩猟によって食材として捕獲した野生の鳥獣およびその肉のこと。私は一度だけ、東京で「ジビエ料理」を食べたことがありました。
友人「新潟の方がジビエ料理って食べるんじゃないの?」
シバゴー「いや、あんまり聞かないんだよね。湯沢町の方だと、クマの肉をもらって食べたという人がいたりするけど。」
友人「クマの肉を食べられるお店とかって無いの?」
シバゴー「うーん、知らないなあ。私も食べたことないし。」
友人「えっ、そうなんだ。」
シバゴー「あんなに山がいっぱいあって、野生動物もいるのにね。湯沢町では昔、猟師がいたって湯沢町史に書いてあったけど。」
友人「新潟の方がジビエ料理って食べるんじゃないの?」
シバゴー「いや、あんまり聞かないんだよね。湯沢町の方だと、クマの肉をもらって食べたという人がいたりするけど。」
友人「クマの肉を食べられるお店とかって無いの?」
シバゴー「うーん、知らないなあ。私も食べたことないし。」
友人「えっ、そうなんだ。」
シバゴー「あんなに山がいっぱいあって、野生動物もいるのにね。湯沢町では昔、猟師がいたって湯沢町史に書いてあったけど。」
ジビエ料理のレストラン「森のうた」
国道17号線を通ると、石打のコンビニエンスストア「ローソン」近くに「ジビエ料理」の旗が見えていました。通りかかると気にはなっていたものの未訪問でしたので、初めて「ジビエ料理 森のうた」を予約して訪問しました。関越自動車道の塩沢石打インターチェンジより程近く、南魚沼市でも湯沢町寄りの場所にあります。
店主の永良だいさん。
シバゴー「ナガラさんって苗字の方は、この辺りだと珍しいですよね?」
永良さん「私は北海道の出身なんです。40年くらい前に、東京から移住して来ました。」
シバゴー「この辺りで、ジビエ料理のお店というのも珍しいです。」
永良さん「ジビエは北海道の業者から取り寄せているんですよ。」
シバゴー「ナガラさんって苗字の方は、この辺りだと珍しいですよね?」
永良さん「私は北海道の出身なんです。40年くらい前に、東京から移住して来ました。」
シバゴー「この辺りで、ジビエ料理のお店というのも珍しいです。」
永良さん「ジビエは北海道の業者から取り寄せているんですよ。」
エゾ鹿のステーキ
エゾ鹿は、もっと野生の匂いというか、食べ慣れない匂いが強かったら大丈夫かな?と思ったのですが、実際はとても食べやすかったです。永良さん曰く「味としては牛のヒレに近いですよね。」
エゾ鹿の肉が品切れということは、ほぼ無いそうです。クマやイノシシの肉は有ったり無かったりで、滅多に入らないとのこと。「今日はイノシシがあるので、カレーで出せます」と言われたので、注文しました。
エゾ鹿の肉が品切れということは、ほぼ無いそうです。クマやイノシシの肉は有ったり無かったりで、滅多に入らないとのこと。「今日はイノシシがあるので、カレーで出せます」と言われたので、注文しました。
お任せジビエカレー。この日はイノシシ。
カレーの野菜はタマネギのみで、香辛料をたくさん使ってあるそうです。イノシシ肉は、豚肉に似ているかなと思いましたが、やっぱり豚肉とはちがって、なんというか野生味があって味が濃いかんじ。なるほど、美味しいものなんだなあと思いました。
(メニューは2024年11月時点を撮影)
座席数は15席ほどになります。
永良さんのお人柄もあり、居心地の良いお店です。お酒を飲む場合、送迎もしてくれるそうですので、ぜひご利用ください。
ジビエ料理 森のうた
【住所】新潟県南魚沼市関973-1
【電話番号】090-3145-0178
【営業時間】11:30~14:30、17:00~21:00
【定休日】不定休。事前にお電話ください。
リニューアルされた湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」
昔、どのように野生動物を狩猟していたか知るため、湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」を訪問しました。JR越後湯沢駅の西口を出て、西山通り(温泉通り)を北へ徒歩で約7分程の場所にあります。
昨年(2024年)1月27日にリニューアルオープン。従来は2階が受付でしたが、1階に自動ドアとスロープが設けられ、車椅子やベビーカー、大きな荷物を持った方も入りやすくなりました。多目的トイレと授乳室も新設されています。エントランスでは映像で展示内容が紹介されていて、ベンチに座って見ることができます。
1階には受付と、ポストカードやワラ細工品などの販売スペース。その奥には、川端康成の小説『雪国』の情景を描いた日本画14点が展示されているギャラリーがあります。
四季の民俗、冬のコーナー
エレベーターで3階に上がると「四季の民俗コーナー」があります。春夏秋冬に分けて民具や農具が展示されています。こちらは冬のコーナー。
湯沢町は、総面積の9割以上を山林が占めています。昭和30年(1955年)、湯沢村、土樽村、三国村、三俣村、神立村の五カ村が合併して湯沢町となりました。小さな面積に4つも宿場(湯沢宿、三俣宿、二居宿、浅貝宿)がありました。熊獲りをしたのは、浅貝・二居・三俣の山間地区でした。
「赤湯山ニテ熊ガリノ時デアル」
<写真提供:雪国館>
昭和7年(1932年)二月末に写した、一枚の写真がある。熊獲りに同行した井口真司(井仙旅館の主人)が撮影したもので、裏には「赤湯山ニテ熊ガリノ時デアル」と記されている。写っている人物は、右から、二居の富沢元吉(明治9年生)・山口昌二・富沢寅数・富沢藤太(明治41年生)と、雌犬のエスである。この人たちがはいているクツとテブクロは、カモシカの皮で作ったもので、背中にはキッカワ(着皮)を付けている。(※1)
(※1)湯沢町史・双書7『湯沢町の民俗(1)雪の越後-山里湯沢・三国越え-』(発行:平成15年、湯沢町教育委員会)より抜粋。以下同じ。
昭和7年(1932年)二月末に写した、一枚の写真がある。熊獲りに同行した井口真司(井仙旅館の主人)が撮影したもので、裏には「赤湯山ニテ熊ガリノ時デアル」と記されている。写っている人物は、右から、二居の富沢元吉(明治9年生)・山口昌二・富沢寅数・富沢藤太(明治41年生)と、雌犬のエスである。この人たちがはいているクツとテブクロは、カモシカの皮で作ったもので、背中にはキッカワ(着皮)を付けている。(※1)
(※1)湯沢町史・双書7『湯沢町の民俗(1)雪の越後-山里湯沢・三国越え-』(発行:平成15年、湯沢町教育委員会)より抜粋。以下同じ。
「ししぐつ」は、クラシシ(方言で「日本カモシカ」のこと)の皮で作ってある。
熊を獲るには、穴熊(穴にこもっている熊)を獲る方法、マキガリで獲る方法、オシ(クマウス)をかけて獲る方法の三つがあって、穴熊を獲ることが一番多かった。
穴熊を獲るには、熊が穴の中で冬眠しているうちが猟期であった。真冬は山に雪が多いので、二月の中旬を過ぎて雪荒れが和ぐと山に入って、熊の冬眠している穴を探した。
熊のマキガリは、冬眠から覚めて、穴から出てきた熊を獲る猟法である。早い熊は三月半ば過ぎから出てくるが、四月から五月いっぱいまでが、マキガリの時期であった。
オシ(クマウス)を仕掛けて熊を獲る方法も使われていた。山には熊の通り道があり、猟師には、草が寝ていることなどでわかった。富沢元吉はナラの実がたくさんなった、いくらか傾斜しているところで、クマウスを仕掛けて熊を獲った。ケンナワに足が引っかかると、上に乗せた大石が落ちて、圧死する仕掛けになっていた。元吉は大正の初め頃、クマウスでよく熊を獲っていたという。(※1)
穴熊を獲るには、熊が穴の中で冬眠しているうちが猟期であった。真冬は山に雪が多いので、二月の中旬を過ぎて雪荒れが和ぐと山に入って、熊の冬眠している穴を探した。
熊のマキガリは、冬眠から覚めて、穴から出てきた熊を獲る猟法である。早い熊は三月半ば過ぎから出てくるが、四月から五月いっぱいまでが、マキガリの時期であった。
オシ(クマウス)を仕掛けて熊を獲る方法も使われていた。山には熊の通り道があり、猟師には、草が寝ていることなどでわかった。富沢元吉はナラの実がたくさんなった、いくらか傾斜しているところで、クマウスを仕掛けて熊を獲った。ケンナワに足が引っかかると、上に乗せた大石が落ちて、圧死する仕掛けになっていた。元吉は大正の初め頃、クマウスでよく熊を獲っていたという。(※1)
熊の皮のタバコ入れ。
熊は丸ごと売る場合と、胆と皮とに分けて売る場合がある。そのうち、高価に売れるのは、熊の胆(い)胆嚢(たんのう)のほうであった。昭和3年(1928年)に富沢元吉たちが獲った、28貫(約110キロ)の大熊は、胆が509円60銭で、皮代は60円であった。このとき、慰労の酒代が一升1円であったので、現在の酒一升の値段を1,500~2,000円と見れば、75万~100万円の金額に相当することになる。(※1)
熊は丸ごと売る場合と、胆と皮とに分けて売る場合がある。そのうち、高価に売れるのは、熊の胆(い)胆嚢(たんのう)のほうであった。昭和3年(1928年)に富沢元吉たちが獲った、28貫(約110キロ)の大熊は、胆が509円60銭で、皮代は60円であった。このとき、慰労の酒代が一升1円であったので、現在の酒一升の値段を1,500~2,000円と見れば、75万~100万円の金額に相当することになる。(※1)
以下は、猟師・梅沢勝行さん(昭和7年生)の聞き書き。山田左千夫さん著作の『方言で読む 越後 魚沼の昔咄』(発行:野島出版)より抜粋。
湯沢の村が合併で町ンなってからは、おら親父(明治28年生の梅沢貞三さん)が猟友会の会長をしていたと思う。その後(中略)おれが会長ンなって現在(平成12年)に至ってると、こういわけですねえ。(中略)クラシシなんか、昔は普通の人の目には入らなかったもんだが、今じゃあたりめぇン面して人前に出てくる。天然記念物だてぁんで、最初はスキー客なんかも珍しがってたども、この頃はあんま見向きもしなくなったよ。(中略)それにしても、彼らが岩をすべりおりるのは上手なもんだよ。体をペターッと岩に張りつけて、ザーッと落っても必ず足から地面に着くようんならぁんどぅね。
湯沢の村が合併で町ンなってからは、おら親父(明治28年生の梅沢貞三さん)が猟友会の会長をしていたと思う。その後(中略)おれが会長ンなって現在(平成12年)に至ってると、こういわけですねえ。(中略)クラシシなんか、昔は普通の人の目には入らなかったもんだが、今じゃあたりめぇン面して人前に出てくる。天然記念物だてぁんで、最初はスキー客なんかも珍しがってたども、この頃はあんま見向きもしなくなったよ。(中略)それにしても、彼らが岩をすべりおりるのは上手なもんだよ。体をペターッと岩に張りつけて、ザーッと落っても必ず足から地面に着くようんならぁんどぅね。
カモシカの皮の腰あて。
カモシカは肉が美味である上、暖かい毛皮は防寒用の手袋などに加工されたため、重要な狩猟獣であった。明治以降の乱獲によって激減し、昭和9年(1934年)には国の天然記念物、昭和30年(1955年)には特別天然記念物に指定された。(※2)
(※2)湯沢町史・双書5『湯沢の自然(2)-動物-』(発行:平成16年、湯沢町教育委員会)より抜粋。
カモシカは肉が美味である上、暖かい毛皮は防寒用の手袋などに加工されたため、重要な狩猟獣であった。明治以降の乱獲によって激減し、昭和9年(1934年)には国の天然記念物、昭和30年(1955年)には特別天然記念物に指定された。(※2)
(※2)湯沢町史・双書5『湯沢の自然(2)-動物-』(発行:平成16年、湯沢町教育委員会)より抜粋。
猟師笠。ワラを使って、猟師が自分で作った物。
以下も、梅沢勝行さんの聞き書き。同じく『方言で読む 越後 魚沼の昔咄』より抜粋。
さぁ、今度、越後の方も雪が消えて、熊が穴から出たあとの巻き狩りてがんのはじめるんだがね。なるべく至近距離まで引きつけて撃つんだが、はじめのころはおっがなくてねぇ。相当、度胸のいるもんだぜ。でもそぅ、熊は一般的にはおとなしい動物でそぅ、人間なんかめったに襲うもんじゃねぇもんだて。木に登ってたって、人間が来たてわかれば、はぁ、くゎらん、くゎらんと逃げっちゃうんだんが。ただバッタリ行き会いしれば向かってくるけどね。だからね、一人で山へ入るどきは、鈴でも携帯ラジオでも持って鳴らしてれば、むこうが先に遠慮して、どっかへ行っちまうよ。なんだって世の中じゃ、人間が一番(いっち)おっがねぇぁんだからのぉ。
以下も、梅沢勝行さんの聞き書き。同じく『方言で読む 越後 魚沼の昔咄』より抜粋。
さぁ、今度、越後の方も雪が消えて、熊が穴から出たあとの巻き狩りてがんのはじめるんだがね。なるべく至近距離まで引きつけて撃つんだが、はじめのころはおっがなくてねぇ。相当、度胸のいるもんだぜ。でもそぅ、熊は一般的にはおとなしい動物でそぅ、人間なんかめったに襲うもんじゃねぇもんだて。木に登ってたって、人間が来たてわかれば、はぁ、くゎらん、くゎらんと逃げっちゃうんだんが。ただバッタリ行き会いしれば向かってくるけどね。だからね、一人で山へ入るどきは、鈴でも携帯ラジオでも持って鳴らしてれば、むこうが先に遠慮して、どっかへ行っちまうよ。なんだって世の中じゃ、人間が一番(いっち)おっがねぇぁんだからのぉ。
湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」
【住所】新潟県南魚沼郡湯沢町大字湯沢354-1
【電話】025-784-3965
【開館時間】9:00~17:00(入館は16:30まで)
【休館日】水曜(祝日の場合、翌日)
【入館料】大人500円/小中学生250円
この記事を書いた人
南魚沼市在住。趣味は写真撮影と読書で、本で調べた所へ行って写真を撮ることをライフワークとしています。神社彫刻が好きで、幕末の彫刻家・石川雲蝶と小林源太郎、「雲蝶のストーカー」を公言する中島すい子さんのファン。地域の郷土史研究家・細矢菊治さんや、地元を撮影した写真家・中俣正義さん、高橋藤雄さんのファンでもあります。