佐渡金銀山を知ることは佐渡を知ること!佐渡金銀山を巡る旅① -きらりうむ佐渡編-


2021年08月23日 9790ビュー
みなさんは佐渡金銀山をご存知ですか?

佐渡には、かつて金や銀などを算出した鉱山が 相川金銀山をはじめ55か所もあります。
佐渡の金銀山開発は16世紀半ばから本格化し、江戸時代には日本最大の金銀山として世界有数の産出量を誇り、幕府の財政を支えました。
なかでも、鉱山の歴史の中で重要とされている西三川砂金山、鶴子銀山、相川金銀山、これらの鉱山を総称して「佐渡金銀山」と呼んでいます。

また、佐渡金銀山はユネスコの世界遺産の国内推薦の有力候補となっています。

今回は、日本最大の金銀山と称される「佐渡金銀山」の偉大な歴史を楽しく学べるスポットを巡ってきました!
まず最初に訪れたのは「きらりうむ佐渡」

こちらでは佐渡金銀山の中世から現代につながる採掘の歴史、佐渡金銀山の基礎知識を学ぶことができます。

場所は両津港から車で40分ほど。
史跡佐渡金山の道中にありますので、ぜひ先に立ち寄りたいスポットです。
入館料は大人300円、小中学生150円。

館内は写真撮影禁止ですが、展示室入口に撮影スポットが用意されています。
超大型小判と撮影できますよ!
シアタールームでは、佐渡金銀山を代表する3つの鉱山とその歴史がわかる映像をドラマ仕立てで再現。金銀生産の様子をプロジェクションマッピングや映像でわかりやすく説明しています。
展示コーナーには、のぞき穴などの楽しいしかけも。
最初は川から砂金を採取していたのが、時代が進むにつれ技術が発達し、16世紀頃からは「霞頭掘り」、「ひ追い堀」、「横相(よこあい)」など、それぞれの時代の最先端技術を活かした採掘方法で掘られていたそうです。

ちなみに、佐渡金銀山は平成元年まで採掘されていたそうですよ。つい最近まで採掘されていたなんて驚きますよね。

江戸時代初期には年間400キロ以上の金が産出したと推定されていますが、資源が減少し採算が取れないことから平成元年に休止したそうです。
また、佐渡金銀山の繁栄により島は大きく発展しました。

鉱山で働く人が増え、鉱山や土木分野の技術職人、商人やさまざまな職業の人が集まり最盛期には人口5万人にまでなったのだとか。
江戸時代には、奉行所と鉱山を結ぶ道が開かれ、道に沿って職能別の町割りが行われたそうです。

その町並みはいまでも京町通りに残っているんですよ。
その際、全国各地の文化が持ち込まれたと言われています。「能」、「鬼太鼓」、「文弥人形」、「無名異焼」などは金銀山の繁栄と深いかかわりがあるのだそう。

佐渡金銀山の繁栄が、佐渡ならではの伝統や芸能を産み育てただなんて驚きです。

佐渡金銀山について熟知したので、いよいよ史跡 佐渡金山に向かいます。
次回では、アリの巣のように開削された坑道をご紹介します。つづく。

きらりうむ佐渡

●料金:大人300円、小中学生150円
●住所:新潟県佐渡市相川三町目浜町18番地1
●電話:0259-74-2215
●営業時間:8時30分~17時
●定休日:無休

エリア

佐渡エリア

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とも

2児の母。O型。大雑把な性格。おでかけの計画を立てるのが苦手。「何とかなるでしょ」と見切り発車してよく予定がズレこむ。