日本列島誕生の謎を探る!フォッサマグナミュージアム、長者ケ原考古館/糸魚川市


2023年05月10日 6180ビュー
日本各地を訪ね歩き、街にまつわる歴史や地理などを紹介する人気テレビ番組「ブラタモリ」でも大々的に取り上げられた「フォッサマグナ」。ラテン語で「大きな溝」を意味する言葉で、その溝の西端が糸魚川─静岡構造線になります。日本列島誕生の謎に深く関わるフォッサマグナについて学べる「フォッサマグナミュージアム」と、隣接する「長者ケ原考古館」を訪ねました。

まずはプロローグで、ヒスイの故郷を体感

フォッサマグナミュージアムが開館したのは1994年。その後2015年に現在の展示にリニューアルされました。
こちらはミュージアムのロゴマークです。マークの中心にあるラインは糸魚川─静岡構造線を表しています。
展示室に入る前のエントランスは、プロローグ空間。ヒスイの故郷と呼ばれている小滝川ヒスイ峡と青海川ヒスイ峡が再現されています。置いてある大きな石も本物のヒスイです。お触りOKですよ。それにしても大きい!

新潟県の石に指定されたヒスイがいっぱい

2022年11月に新潟県の石に指定されたヒスイをたっぷりと鑑賞できるのが第1展示室「魅惑のヒスイ」です。糸魚川の海岸等で見つかったヒスイの数々が展示されています。
ヒスイと言うと緑色を思い浮かべる人も多いと思いますが、日本で発見されるヒスイにはほかに白、紫、青、黒と5色あります。本来のベースは白で、そこにわずかな成分が入ることで、さまざまな色や濃さが出てくるのだとか。確かによく見ると、小さな石でも均一な色のものはなく、微妙な濃淡が広がり美しい色彩を見せています。展示の中から、自分だけのお気に入りのひとつを探してみると楽しいかもしれませんよ。
黒に近い濃緑の石にライトを当ててみると……、こんなにも華やかなエメラルドグリーンになりました!驚きですね。このようにヒスイには光を透過するものもあります。
ヒスイの美しさを堪能した後は、第2展示室「糸魚川大陸時代」へ。あの美しい石について歴史や科学などさまざまな視点から学ぶことができます。

綺麗な石のイメージが強いヒスイですが、重くて堅いため、縄文前期と呼ばれる約6500年前にはハンマー(叩き石)として使われていました。
その後、垂飾りという玉として使われたり、勾玉が作られたりと、美しさが重用されるようになっていったのです。
時は流れ、奈良時代に東大寺法華堂の仏像に使われたのを最後に、ヒスイは日本の歴史から姿を消します。そのため「ヒスイは海外から渡来した石」と長年思われていました。

しかし1930年代、糸魚川出身の作家・相馬御風が古事記に出てくる奴奈川姫が持つヒスイは、地元・糸魚川産なのではないかと考えます。御風の考えを受けて、ヒスイ探索に乗り出した伊藤栄蔵という人物が、なんと調査からわずか2日で小滝川からヒスイを見つけてしまうのです。この発見により、日本にヒスイ産地があることが、明らかになりました。
現在は盗掘などから守るため、小滝川ヒスイ峡は国の天然記念物に指定され保護されています。
第3展示室「誕生 日本列島」には、ドイツ人地質学者、ナウマン博士の展示があります。博士は、ナウマンゾウの研究で知られる人物ですが、同時にフォッサマグナの発見者でもあるのです。
博士の研究内容はもちろん、愛用の品などもあり、その人柄もしのばれるような展示になっています。

大迫力の巨大スクリーンで日本列島誕生を観よう!

館内一番の目玉は、200インチの壁・床一体型の巨大スクリーン「フォッサマグナシアター」です。物語は今から46億年前、衝突を繰り返し原始地球が誕生したところから始まります。
地球を覆うプレートの誕生と、衝突や沈み込みによって、徐々に大陸が出来上がっていきます。フォッサマグナが日本列島誕生の際の大地の裂け目だったこと、地形の変化で日本海や富士山などが形成されていった過程など、ダイナミックな地球規模の物語をぜひご堪能ください。
石が生まれる場所は大きく分けると3つ(火山、海などの水の底、地下深い場所)あります。糸魚川は大きな地殻変動があった土地のため、それら3種の石を見ることができる、全国でも希有な地域なのです。
小さな石ひとつ取っても、実は大自然の営みが関係していることが分かって、何とも不思議な気持ちになりました。
かくして誕生した日本列島ですが、活火山があり、地震があり、大自然は恵みと共に災害ももたらしてきました。私たちがいかにしてその両方と共存しながら生きてきたのかを知ることができるのが、第4展示室「変わりゆく大地」です。
案内してくれた学芸員さんの「大地を良く知ることが、私たちの生活をよりよくする」という言葉が印象に残りました。
こちらは地震計のリアルタイムモニターです。体感できないごく小さな地震が毎日起きていると知りビックリ!地震計の前でぴょんと跳ねて衝撃を与えると計器が反応します。ぜひお試しあれ。
いろいろ学んだからには、それが身についたかどうか気になりますよね。回転寿司のように問題がレーン上を回ってくる「ミュージアム検定」に挑戦してみました。選んだ筒をパソコン前の指定の場所に置くと、検定が始まります。タッチパネル方式で操作は簡単。友達と一緒に挑戦したらきっと盛り上がりますよ。

魅惑の化石と鉱物たち

第5展示室「魅惑の化石」では、国内外の化石が年代順に展示されています。
化石の形や模様は、まるで前衛的な現代アートのよう。自然が作り出す造形の見事さに圧倒されました。
最後の展示室は「魅惑の鉱物」。化石展示と同じく、世界中のものを観ることができます。こちらはアラブの石膏。まるで石で出来た「バラ」のようですね。
こちらは石英の日本式双晶です。二つの水晶が結合しており、ハート型に見えます。
どれもこれも美しかったり、個性的だったりと目移りしてしまいましたが、個人的にいちばん気に入ったのが「蛍石」でした。第1展示室のヒスイ同様「自分の推し石」を見つけるのも楽しいかもしれないですね。

フォッサマグナミュージアム

住所:新潟県糸魚川市 一ノ宮1313(美山公園内)
TEL:025-553-1880
開館時間:午前9時から午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:12月〜2月の月曜日・祝日の翌日/年末年始
入館料:一般 500円/高校生以下 無料
 長者ケ原考古館との共通入館券 一般 600円/高校生以下 無料

長者ケ原考古館

次に訪ねたのは、フォッサマグナミュージアムから徒歩5分の「長者ケ原考古館」です。長者ケ原遺跡をはじめとした市内の遺跡からの出土品が展示され、縄文から江戸時代前の糸魚川市のあゆみを見ることができます。
第1常設展示室でまず出迎えてくれるのは縄文土器です。糸魚川は富山、長野、新潟と3つの地域の影響を受けているため、多様な形の土器が発見されています。
中でも気になったのがこちら!縄文土器は個性的な紋様が特徴ですが、鑑賞用ではなく、煮炊きや儀式など実際に人が生活で使っていたと伝わっています。取っ手部分が耳、施された意匠が目鼻と、何かの動物に見えてきました。当時の人は何を思ってこのような形にしたのか。考え始めると止まりません。
縄文時代のファッションコーナーでは、当時の服を再現したものを着ることもできます。アクセサリーもセットで縄文人になりきって、竪穴住居のジオラマを背景に写真を撮ってみてはいかがでしょうか。S・M・Lの3サイズが用意されていますよ。
勾玉や垂玉らしき石も発見されていますが、美しい完成品は交易の手段として他地域に送られていました。そのため糸魚川では作りかけの未完成品が出土されています。
第2常設展示室では縄文時代から江戸時代までの品が展示されています。
気になったのがこちらの展示。平安時代、京都から国司が越後にやって来るときに、国境を越えたところで歓迎会が催されるしきたりがありました。なんとその宴は三日三晩続くのだとか!宴が行われたのが糸魚川で、この食器類はその時に使用されたものではないかと言われています。
食器ひとつにも、当時を生きた人たちの物語がある…そんなことを実感しました。

長者ケ原考古館

住所:新潟県糸魚川市一ノ宮1383
TEL:025-553-1900
開館時間:午前9時から午後5時(受付は午後4時30分まで)
休館日:12月〜2月の月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、翌日休館)/年末年始
入館料:一般 300円/高校生以下 無料

縄文の大規模集落で思いを馳せる

長者ケ原考古館のほど近い場所に、国指定史跡長者ケ原遺跡があります。
縄文時代中・後期(5000〜3500年前)に栄えた大きな集落跡で、24棟の住居、貯蔵穴、多くの墓などが確認されました。
当時の住居が復元されて何棟か建っています。
中は意外と広々しています。長者ケ原はヒスイをはじめとした様々な石の加工品を作り、交易で栄えた場所でした。ここで暮らした人たちの営みがヒスイ文化の一端を担っていたのかと思うと、先ほど見てきた展示が単なる歴史ではなく、現代の私たちに連綿と繋がっているのだと実感できました。

長者ケ原遺跡公園

冬季閉園(12月〜3月)

この記事を書いた人
和田明子

長岡市のリバティデザインスタジオで、夫とともにグラフィックデザインやコンテンツ制作を行う。アート、映画、文学、建築、カフェ巡り、旅行、可愛いものが大好き。ウェブマガジン「WebSkip(https://webskip.net/)」も細々と更新中