「聖籠太鼓 響(sato-oto)」の活動を通じて、地元を盛り上げたい/聖籠町
1974年、新潟市生まれ。新潟市内の建築会社に勤務するかたわら、「聖籠太鼓 響(sato-oto)」の代表を務める。若い頃はロックバンドを組み、バリバリのロッカーだったが、12年ほど前にたまたま「聖籠太鼓 響(sato-oto)」の演奏を聴き、和太鼓の魅力のとりこに。篠笛を担当するほか、オリジナルの楽曲づくりも行うなど、活動を牽引する。
聖籠町を拠点に活動する和太鼓集団
2000年に聖籠町の有志によって結成された和太鼓集団です。結成当初は太鼓も十分に揃えられず、古タイヤや段ボールを叩いて練習していた時期もあったそうです。太鼓は高価な楽器なのでたいへんですね。いちばん大きな平胴太鼓は300万円くらいしますし、けやき製の長胴太鼓は100万円くらいします。町から補助をいただいたり、宝くじの助成事業に選んでいただいたりして、活動を続けています。
メンバーは、いちばん多いときには50名以上いたこともあったそうですが、今は25名程度で活動しています。小学生から、最高齢は70代の方もいらっしゃいますね。最高齢の方が初代代表で、僕は3代目になります。
僕の代になって、小学3年生以下のお子さんの場合は、親御さんも一緒に入会していただくか同伴していただくという規約を設けました。小さいお子さんは練習の途中で飽きてしまい、遊びだして収拾がつかなくなってしまうこともあるので。そうやって親子で参加されている方もいらっしゃいますよ。
練習は、基本的に火曜日と金曜日の19時から21時まで聖籠町町民会館内の文化会館で行っています。私も新潟市での仕事を終えてから、都合のつく限り練習に参加しています。
―「響(sato-oto)」というお名前の由来は?
「響」という字を上下に分けると、「郷」と「音」という2文字になります。「sato-oto」ですね。「郷に響き渡る音」、「郷の音を響かせる」という想いから命名されたようです。太鼓の音色に笑顔と元気をのせて皆さんにお届けしたい、そんな熱い思いで舞台をつくっています。
バリバリのロックンローラーが和太鼓と出逢う
小学校の頃から「音楽大好き人間」でした。といっても音楽の授業は好きではなくて、ただ歌うことが好きでした。小学生の頃って、みんな恥ずかしがって校歌とか歌わないじゃないですか。そのなかで、人一倍でかい声で歌っていましたね。
そのうちロックが好きになって、髪を金髪に染めてギターを弾きはじめ、バンドを組むようになって。はじめは新潟市内で活動していましたが、高校を卒業してすぐの18歳の頃に、音楽を極めたいと東京へ出ました。なんの当てもないし、お金もなかったんですが、ひとりでふらりと東京に行って、向こうでメンバーを集めました。バイトをしながらバンドをやっていましたね。僕自身は、歌とギターを担当して、ライブハウスに出たりしていました。
好きなバンドはいっぱいいますが、やっぱりいちばん好きなのはBOØWYですね。氷室京介にめちゃくちゃ憧れていました。あとは、尾崎豊もよく聴いていましたね。東京では、アマチュアバンドに曲を作って提供することもしていて、だんだん歌うことよりも作曲のほうが楽しくなってきたんですが、そうなると、「曲を作るだけなら高い家賃を払って東京に住んでいなくても、実家でもできるじゃん」と。それで新潟に戻ってきました。
―聖籠町のご出身ではないのですね?
新潟市紫竹で育ちました。こちらへ戻ってきて、しばらくして結婚することになったときに、新潟市内ではなくもっと田舎で暮らしてみたいと思い、良い場所はないかとあちこち探し回ってここへたどり着きました。
いろいろな場所を見て回ったんですが、聖籠町は土地の雰囲気がすごくいいなあと感じました。特に、弁天潟という大きな潟が広がっていて、その風景がとても気に入ってしまい、「ここだ!」と。14年ほど前に、弁天潟を一望できる場所に家を建てて移ってきました。職場は新潟市なので毎日の通勤がたいへんかなあとも思いましたが、それでもここに住みたいという気持ちが強かったですね。
住んでみたら住民の方々が皆さんやさしくて温かくて、本当に驚くほどでした。新潟市に住んでいたときは、お隣同士でもほとんどあいさつも交わさなかったんですが、こちらでは誰でも会えば「こんにちは~」という感じで気さくにあいさつしてくれる。その人情の厚さに惹かれましたね。
―「聖籠太鼓 響(sato-oto)」に参加するようになった経緯は?
実は、和太鼓にはまったく興味がなかったんですよ。音楽は大好きでしたが、ずっとバンドをやっていて、「ロック命」だったので。
子どもが生まれて音楽から少し離れていたときに、たまたま「聖籠太鼓 響(sato-oto)」の太鼓演奏を聴く機会があって、「何だこれは、すげえかっこいい」と衝撃を受けました。今まで味わったことのないジャンルだったので、ときめいて。すぐに入会したいと思いました。
「聖籠太鼓 響(sato-oto)」に入るにはどうしたらいいのかといろいろな人にたずねて回ったら、たまたま知り合いを通じて紹介してもらうことができました。でも、初めてのときは緊張して、一人だと心細かったので当時小学3年生だった息子を道連れにして見学に行ったんですよ。こう見えて、結構シャイなんです。
練習風景を見せてもらって、「ぜひ自分もやってみたい」と思い、息子と一緒に入会しました。息子は今年21歳になりますが、20歳まで続けていました。私もずっと続けていて、今年で13年目でしょうか。代表になったのは、熱意を買っていただけたのかなあと思っています。
観客の前で演奏すると、拍手をいただいたり、喜ぶ顔を見せてくれたり、なかには泣いてくださるお客さんもいらっしゃったりして。そういうお客さまの感動がダイレクトに伝わってくるのを感じると、「ああ、やっててよかったな」と思いますね。
昔、バンド活動をしていたときに、ライブハウスでお客さんが「ワーッ」と盛り上がるのとはまったく違って、しっとりと静かに聴きながら泣いてくださる方もいることに感動しました。舞台でそういう感動を味わうと、「もっといいものを作ろう」とモチベーションも上がりますね。
最初は太鼓を叩いていたんですが、笛の担当者が辞めてしまったんですよ。笛がいなくなると困るので、「じゃあ、やってみようかな」と。
笛は「篠笛」と呼ばれるもので、篠竹に唄口と指穴をあけたシンプルな構造の横笛です。平安時代の昔から日本の神楽、獅子舞などの伝統芸能や長唄などに使われていますが、実はこれがとてつもなく難しい楽器で、本当に苦労しました。
今までいろいろな楽器をやってきましたが、篠笛はトップ3に入るくらい難しいですね。太鼓は叩けば音が出る楽器ですから、数をこなしていけば上達してだんだんリズム感も出てくるんですけど、篠笛は、まず音が出ないんですよ。リコーダーのように普通に吹けば音が出るわけではなくて、音がまったく出ない。吹き方が難しいんですね。笛をやりたいといって挑戦しても、どうしても音を出せなくて断念してしまう方もいました。
多くのメンバーがいますが、それぞれに太鼓に対する熱量は違います。「もっとうまくなりたい」という人もいれば、「そんなにうまくならなくても、楽しんで演奏できたらそれでいい」という人もいます。
ただ、お金をいただいて演奏する以上、ボランティアではなく、ある意味プロフェッショナルでなければいけないので、お客さまに中途半端な演奏をお聴かせするわけにはいきません。そうなると、やはり技術がある人や、笑顔がいいとか、大きな声を出せるとか、ステージで良いパフォーマンスができるメンバーを選ばないとお客さまに申し訳ない。なかなかステージに立てない子もでてきたりするので、そのへんのバランスが難しいですね。
もう一つの問題は、新しく入会してきた人たちに十分な指導をするのが難しいことです。メンバーは、限られた時間の中でイベントに向けた練習もしなくちゃいけない、曲も作らなくちゃいけない。というわけで、教えるメンバーが足りないんです。これは、発足当初からいちばん苦労している点ですね。
お金を払って観に来てくれるお客さまに中途半端な演奏は見せられないので、きちんと練習することが大事だけれど、新しい人も育てていかないと存続できない。「せっかく入ったのに何も教えてもらえない。じゃあ辞める」という人が出ないようにすることが課題ですね。
あとは、大人の男性メンバーがもう少し増えてくれたらうれしいですね。今は女性と子どもが多くて、男性メンバーが少ないんですよ。以前は男性のほうが多い時もあったし、年配の方ばかりになってしまった時もあったし、20年の間にはさまざまな波がありました。力仕事も多いので、男性メンバーが少ないと困ることもあります。たとえば、太鼓を運ぶときも、いちばん大きな平胴太鼓は、大人の男性が3人がかりじゃないと持てないんです。
人生は一度きり。好きなことを悔いなくやりきりたい
何が仕事なのか、よくわからなくなりますね。仕事が終わると急いで新潟市から戻ってきて、練習に参加して、休日もイベントが入ったりしますし。忙しいといえば忙しいのですが、充実していますね。人生は1回きりなので、やはり自分がやりたいことを思いっきりやっていきたいなと思います。
「聖籠太鼓 響(sato-oto)」は、今年で23年目を迎えます。先代から受け継いできたものを僕の代でつぶすわけにいかないので、できる限り盛り上げていきたいと思っています。
―趣味やお好きなものなどは?
暇さえあれば曲をつくっているので、ほかに趣味と呼べるものがないんですよね。自分がいつかソロになったときに歌いたいなあと思って、作りためています。
曲は、いくらでも生まれてくるんですよ。まず1フレーズが頭に浮かんできます。仕事中や移動中などでもフレーズが浮かんだら、忘れないように口ずさんでレコーダーに録音しておきます。これをあとでギターやピアノに落として、ジグゾーパズルみたいにつなげて1曲にしていきます。
音楽しか取り柄がない人間なんですよ。今でも、暇さえあればギターをいじってますね。もう身体の一部みたいな感じです。家に帰ってソファに腰を下ろすと、すぐギターを手に取ります。テレビを観ているときも。落ち着くんです。完全に音楽オタクですよね。
また、ロッカーのくせにと思われるかもしれませんが、実はお酒がまったく飲めなくて。飲み会ではいつもウーロン茶を飲んでいるんですが、それで誰よりも盛り上がれますし、トークも弾みますよ。
甘党なので、スイーツも大好き。新潟市西蒲区の「ラ・パティスリー プレジール」さんのケーキが好きなので、たまに買いに行ったりします。和菓子だと、村上市の「越後岩船家」さんの笹だんごがイチオシですね。
あまり出かけたりする方ではないんですが、温泉が好きなので、日帰り温泉に行くことが多いですね。いろいろな温泉を回りましたが、いちばんのお気に入りは新発田市の月岡温泉です。硫黄の匂いが強いところが好きですね。日帰り温泉施設の「美人の泉」が大好きです。聖籠町の「ざぶ~ん」にもよく行きます。第2のお風呂って感じです。
聖籠町の魅力は、なんといっても住民の温かさと自然の豊かさです。季節ごとに見どころがあって、すばらしいと思います。なかでも、弁天潟の風景にはいつも心癒されていますね。
聖籠町だけでなく、新潟県全域の皆さんに「聖籠太鼓 響(sato-oto)」の名前を知っていただくことが何よりの目標です。そのためには、とにかく活動を続けることが大切だと思います。長く長く続けていくことを常に考えて、これからも頑張っていきます!
ラ・パティスリー プレジール
新潟市西蒲区巻甲62-1
0256-72-0556
営業/10:00~18:00
定休日/月・火曜
絵本の世界に迷い込んだようなかわいらしい外観のスイーツ店。季節のフルーツをたっぷり使った生ケーキをはじめ、ロールケーキや各種焼菓子など、どれも大人気!
越後岩船家 本店
村上市松山6-2
0120-52-2073
営業/8:30~17:30
定休日/日曜、土曜は不定休
北越後に自生する新芽のやわらかなヨモギと国産の良質な餅粉を昔ながらの杵臼でつきあげたコシのある生地と、甘さを控えた自家製餡、昔ながらの「後蒸し方式」で作り上げる「笹団子」が絶品!
月岡温泉 共同浴場「美人の泉」
新発田市月岡403-8
0254-32-1365
営業時間/10:00~21:30(最終受付20:30)
定休日/火曜・第3水曜
料金(日帰り入浴料金)/大人:600円、小人;350円
硫黄成分の含有量は国内随一。エメラルドグリーンの美しい湯は、入浴すると肌がつるつるになることから美肌の湯とも呼ばれている。
聖籠観音の湯「ざぶ~ん」
北蒲原郡聖籠町大字諏訪山652-3
0254-27-1126
営業/10:00~21:00(最終受付20:30)
定休日/第1・第3火曜 (祝日の場合は翌日)
料金(日帰り入浴料金)/大人:750円、小人(4歳~小学生):450円
※タオル・バスタオル付
地下1,100mから湧き出す湯は、海水のように塩辛いナトリウム-塩化物強塩温泉。大浴場をはじめ圧注浴、寝湯、気泡浴、打たせ湯、歩行浴など多彩な風呂を楽しめる。
弁天潟風致公園
北蒲原郡聖籠町蓮野1027-1
新発田藩による加治川治水工事の際にできた入り江を二宮家が新発田藩より借財の形として譲り受けたもので、二宮家の庭の一部だった。一年を通して美しい景観が楽しめる。