湯沢にポツンと石川雲蝶。瑞祥庵の仁王像、謎に迫る!/湯沢町


2024年08月10日 27ビュー
幕末の彫刻家、石川 雲蝶。
 
寺社彫刻が好きな人にはもちろん、そうでない人にも、ぜひご覧いただきたい。「越後の」、いや「日本のミケランジェロ」を。本当に、すばらしいですから。
 
雲蝶大好きな私が、更に心酔するようになったのは、この方との出会いがあったからでした。

圧倒的な「雲蝶愛」を持ち続ける中島すい子さん

すい子さんは、雲蝶の研究家であり、南魚沼雲蝶会の会長、雲蝶バスツアーのガイドをされています。

その「雲蝶愛」に、私はいつも驚いてしまうのです。雲蝶もすごいけど、すい子さんも、ほんとすごい。雲蝶が持っている幸運は、すい子さんに目をつけられた(すい子さんは「自称・雲蝶のストーカー」です)ところもある、と私は思っています。
 
雲蝶の代表作は、「西福寺 開山堂」の天井彫刻や「永林寺」の天女の欄間だろうと思います。でも、私は「瑞祥庵」の仁王様に魅かれるのです。それは、すい子さんの解説の魅力によるところでもあります。

中島すい子観光ガイド事務所

ガイドのご依頼・お問い合わせは、電話:090-1550-8287 まで。

◆石川雲蝶作品巡り 1日コース¥15,000(行先はお客様希望可)
◆石川雲蝶作品巡り スポットコース¥4,000(1ヶ寺につき)
※金額は、どちらも消費税込み。現金払いのみ。

湯沢町にある曹洞宗の寺院「瑞祥庵」

瑞祥庵(ずいしょうあん)は、湯沢町の「両山(りょうやま)」と呼ばれる地域にあります。上州(群馬県)と背中あわせの山が立ちはだかっていますので、「袋小路みたいな場所よね」と、すい子さんは言います。
 
雲蝶の彫り物は、長恩寺、龍谷寺、穴地十二大明神など、南魚沼市にはいくつかありますが、湯沢町には、たったひとつ。瑞祥庵の仁王尊像が、袋小路のような山の中である両山に、ポツンとあるだけです。
 
ポツンとひとつ離れて、なんで彫られたんだろう。誰が雲蝶を、湯沢に連れて来たんだろう。塗り替えたそうだけど、どういった経緯なんだろう。謎は尽きません。

さあ、ここからは、中島さんのガイドのはじまりです。

瑞祥庵は曹洞宗のお寺で、塩沢の雲洞庵の末寺なんです。九代の住職が、大永2年(1522年)、湯沢の方に新しく開いてから、ずっときているわけなんです。
 
両山が、どうやって発展したと思いますか?
 
昔はやっぱり、織物です。「越後上布」や「塩沢紬」など、いろんな織物産業が盛んな時代。両山の人たち、特に女性は機織りに精を出しました。織物に関して、両山は生産高がすごかったと言われていまして、ずいぶん儲けた人もいたらしいです。

再建された山門に最初、仁王様はいませんでした

弘化4年(1847年)、山門が再建されました。仁王様が、雲蝶によって、いつ頃に彫られたかは定かでありませんが、再建の数年後と伝えられています。
 
当時、「両山縮」で商いをしている人たちが、両山へ織物を買い付けに来ていました。その中で、小千谷で縮の商いをしていた「小船井 新八(おぶない しんぱち)」という人がいました。
 
新八が「どうもどうも、この両山でたくさん儲けさせてもらったから、ここでひとつ記念になるものを差し上げたいと思うんだけども、何がいいかね?」と尋ねてきたんです。
 
そしたら瑞祥庵の檀家さんたちが、みんなで相談して「そうそう、そういえば、瑞祥庵には仁王様がないから、じゃあ、仁王様をぜひ、お願いできますかね。」って言ったんでしょうね。
 
仁王尊というのは二体で一セットなんですよね。阿吽(あうん)の仁王様で、阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)の二体が両側に立つんです。
新八は「う~ん、一体でいいろかね。二体はお金がかかるから、一体にさせてくれや。」と言って、一体だけを寄進することになったんです。そして、もう一体は、檀家さんたちがみんな割り当てをして寄進してくれたんです。

小船井新八が寄進した吽形の仁王様

ほら、右側の壁面に貼ってある木札に、新八の名前がありますでしょう。
「仁王様壱体 小千谷寺町 施主 小船井新八」と書いてあります。

仁王様って、おいくらくらい?

一体の仁王様を作る金額って、おいくらだったと思います?
 
幕末から明治にかけて、江戸時代の一両が現在ではいくらだったか、一概には言えませんが、まあ、とりあえず仮に15万円くらいとしてみます。その頃の新八や両山の人たちが一両稼ぐのは本当に大変な思いをしなければならなかった時代です。
 
そんな中で、仁王様一体の料金。11両3朱500文だったんですよ。そうすると、一体170万円くらいする。新八も大変だったと思うんですけども。200万円近くのお金を出すわけですから。
この、手の反りを見てください。手の造形は、雲蝶にとって一番特徴のあるものなんです。とにかく反り状態がすごいんです。シュッとしなやかな手がね、シャッと伸びている、そういう特徴のある手を彫っています。

檀家さんたちが寄進した阿形の仁王様

恐ろしさがにじみ出てくるような顔つきです。「子どもの頃に見て、怖くて泣いたことがある」と言っていた人がいました。本当に、迫力がある仁王様です。
塗りが、だいぶ剥落していますね。推定される制作時期から80年以上経って、昭和4年(1929年)に塗り替えられています。

塗り替えたのは、小千谷の塗り師

「仁王尊彩色寄付単」の一番後ろに、「西方 久治(にしかた きゅうじ)」って書いてあります。
 
またほら、私のことだから、早速、小千谷へ探しに行ったんですよ。そうしましたら、いました。久治さんがいたわけじゃないですよ。久治さんは昭和20何年かに亡くなって、明治35年生まれだったそうです。その息子さんが、父親と同じ仕事をしているんです。そう、塗り師の仕事。
 
この仁王様の話をしましたら、「ああ、うちの親父ですよ。とうに亡くなっていますけども、親父が若い頃、よくその話をしていました。」って言うんです。
 
昭和4年の当時、久治さんは29才。「若造だったんですよ。」と、息子さんは言っていました。久治さんはよく「俺は湯沢の瑞祥庵へ行って仁王尊を塗った。」と話していたんだそうです。
 
「塗り終わって起こしたら、台の裏に雲蝶の刻銘を始めて見つけた。これは困った。これが分かっているんなら、自分はするんじゃなかった。」そういうことを言ったそうなんですね。
不思議でしょ、この毛むくじゃら。雲蝶の作品だとは皆さん、思わないでしょ?
 
でもね、「毛はあった」って、最初から。この髭、体毛も、気が遠くなるほどの細い線で仕上げてあったそうです。久治さんは、あんまり気が遠くなるほどだったので、ついつい大雑把にかいてしまったんだそうです。
久治さんは悔やまれていたとのことでしたが、私は塗り直してもらってよかったと思っています。だって、昭和4年頃の風化がどの程度だったか分かりませんけど、その頃に塗っていなかったとしたら、今、無残な仁王様を見ていたかもしれません。やっぱり、きちんと手を入れたからこそ、今もこうして残っていっているのだと思います。

謎ばかりの仁王様

数年前、「もう歳をとって辞めちゃったけど、瑞祥庵にずっと勤めていて、瑞祥庵のことをよく知ってる人がいる」と教えてもらって、その方を訪ねたことがあります。話を聞きましたけども、やっぱり核心に迫る所は、なかなか分からない。
 
いちばん分からないのは、雲蝶が、ここに来て仁王様を彫ったのか、どうかということです。本当に、なんにも出て来ないんです、雲蝶ゆかりの品物や言い伝えが。西福寺や永林寺の周りには、民家に残る小さな作品がいっぱいあります。どこの家で世話になっていた、どういう交流があったなんて話が、いくつも出てきます。でも、両山にはないんです、なにひとつ。
 
これだけ立派な仁王様です。どこかで世話にならなければ、作られません。

ここからは、仮説なのですが。

仁王様って、たぶん分解できるんです。眼はギヤマンといって、ガラス細工をはめ込むのが雲蝶の特技のひとつなんですけども、ギヤマンだって、頭をふたつに割って、後ろからはめ込んでいるんですよ。上手に合わせて、私たちには分からないようになっている。
足の所は、邪鬼からは離れると思いますし、いろんな所が組み込まれています。技術のひとつですよね。

解体できるということは、「どこかで彫り上げて、出来上がったものを運んできた」とも考えられないかしら。

その「どこか」とは?

(写真は塩沢宿を再現した「牧之通り」)

私は、もしかしたら塩沢宿ではないかと考えます。三国街道、湯沢宿を北方へ進んで、関宿があり、その次の宿場が塩沢宿でした。湯沢宿から塩沢宿までは約15キロ。昔の人なら3時間くらいで歩いたんですかね、今だと車で25分くらいです。湯沢宿から両山までは約5キロなので、プラス徒歩1時間ってところでしょうかね。
仁王様を寄贈した、小船井新八。出処は、どこだと思います?
小千谷じゃないんです。実は、塩沢宿にある若狭屋(わかさや)書店さんなんです。若狭屋書店さんの、当時の六男坊が井口新八さん。昔は今と違って、直系の跡取り以外、みんなどこかへ出ていかなければならないので、小千谷へ出たんです。そこでたまたまお世話になっていた小船井さんから苗字をもらって、初代の小船井新八となったんです。

新八が両山の人たちに「仁王様を作る仏師がいねえか?」と聞かれた。
「俺の実家の近くに、腕のいいのがいるぜ。」
「じゃあ、頼みてえがだけど、なじょだや?」
いざとなったら「えっ、他の仕事が忙しくって、湯沢に来らんねえって?そしたら、塩沢でこしゃって(=作って)もらえや、それを持って来ればいいねっか。」なんてね。言ったかもしれません。
 
とにかく、品物や古文書、言い伝えが湯沢でなんにも発見されませんので、謎は深まったままなのです。

後世に残っていってほしい仁王様

山門には格子の木枠と金網だけで、仁王様は外気にさらされていましたが、令和2年(2020年)にアクリル板がはめられました。風化を止めることはできませんが、町指定文化財として大切にしようと対策が行われたこと、とてもすばらしいと思います。
ずっとずっと後世に残っていってほしい仁王様です。
曹洞宗 方丈山 瑞祥庵

曹洞宗 方丈山 瑞祥庵

【住所】新潟県南魚沼郡湯沢町大字土樽4595
【アクセス】関越自動車道 湯沢I.Cより車で約10分/上越線 越後中里駅より徒歩で約15分
【備考】観光客への案内はしていません/トイレは使用できません/積雪期は山門が雪囲いされる為、仁王像をご覧いただけません
【問合せ】観光案内は(一社)湯沢町観光まちづくり機構まで(電話:025-785-5505)

瑞祥庵から約2キロの「森のカフェ 六花」でランチ

拝観の後は、瑞祥庵から約2キロ、車で約5分の場所にある「森のカフェ 六花」でランチをしてはいかがでしょう。建物の周りは本当に「森」。自然豊かな場所にある、素敵なカフェです。
「六花(りっか)」とは「雪」の異称で、雪の結晶が六角形であるところからだそうです。
 
今年で6年目の営業。カフェのオーナー、田代美知さん(右)は「湯沢は冬、スキー場に来るお客さんで賑わうけど、夏は少なくなる。冬に限らず、湯沢に来た人たちが集まる場所になってほしい。」と話していました。
窓から森の木々が見えて、まさに「森のカフェ」。
「こういう自然の中にあるカフェって、湯沢には意外と少ないんですよね。」と、田代さん。
窓際の席に座りました。すぐ外のテラス席ではペットも可だそうです。

一番人気のランチ「Aセット」

Aセット(1,200円/税込)。豚肉まき(梅シソ、ふきみそ)とチキンロール。ごはんは、地元のお米です。
ポークとチキン、両方を食べられるのがいいですね。梅シソとふきみそは、自家製とのことです。
※メニューは2024年7月時点。

こちらも人気のベジプレート

ベジプレート(1,200円/税込)。野菜中心のおかず5種と、おまかせメイン。この日はハンバーグでしたが、肉だったらポークソテー、魚だったら白身ソテーやサーモンフライなど、色々と変わるそうです。
夏野菜の時期だったので、茄子、ししとう、トマト、ズッキーニなど色とりどり。
「旬の野菜は、本当に美味しいですよね。食べると元気が出る。」と、すい子さん。
デザートに「桃のタルト」(450円/税込)。アーモンドクリームにアールグレイの香りがして、それが桃とよく合い美味しかったです。
こちらは季節のメニュー。他に、「アイスクリーム いちごソースがけ」(420円/税込)と「コーヒーゼリーのミニパフェ」(450円/税込)もありました。
定番の「甘さひかえめチーズケーキ」(420円/税込)。
 
「本当に”甘さひかえめ”で、さっぱりと食べられる。チーズの香りがよくて、美味しい。」と、中島さん。
 
大好きな雲蝶の彫刻を、中島すい子さんの解説で観てから、美味しいランチとデザートでゆったり。心もおなかも満たされて幸せな、両山の時間でした。皆さまもぜひ、瑞祥庵へ仁王様に会いに来られる際には「森のカフェ 六花」で、美味しいランチとデザートを召し上がってくださいませ。
森のカフェ 六花

森のカフェ 六花

【住所】新潟県南魚沼郡湯沢町土樽1250-1
【電話】025-788-1325
【営業時間】11:00~17:00 
【定休日】木曜定休他、不定休
※営業時間と定休日は変更あり。電話でお問い合わせ下さい。
※例年は冬季休業で12月下旬まで営業のところ、2024年は変更の予定あり。

この記事を書いた人
シバゴー

南魚沼市在住。趣味は写真撮影と読書で、本で調べた所へ行って写真を撮ることをライフワークとしています。神社彫刻が好きで、幕末の彫刻家・石川雲蝶と小林源太郎、「雲蝶のストーカー」を公言する中島すい子さんのファン。地域の郷土史研究家・細矢菊治さんや、地元を撮影した写真家・中俣正義さん、高橋藤雄さんのファンでもあります。