石川雲蝶作の大看板。塩沢宿とサフラン酒本舗、三人の男をめぐるストーリー/南魚沼市・長岡市


2021年05月22日 1647ビュー

大看板からつながる、幕末の彫刻家と、後の時代の実業家

はじめまして。南魚沼市在住のライター、shibago(シバゴー)です。
 
今回、幕末の彫刻家、石川雲蝶と雲蝶に関わる人たちについて紹介したいと思います。

石川雲蝶は、文化11年(1814年)、江戸雑司ヶ谷生まれ。
作品は神業的に素晴らしく、いつしか「越後のミケランジェロ」と言われ、
いまや「日本のミケランジェロ」。
西福寺開山堂の天井彫刻は圧巻の迫力で、観光シーズンには多くの人が拝観しています。

魚沼には、雲蝶の彫刻がいくつも残っています。
西福寺開山堂(魚沼市)、永林寺(同市)、龍谷寺(南魚沼市)、穴地十二大明神(同市)、瑞祥庵(湯沢町)…。
 
実は、それ以外にも、非公開の彫刻が存在しています。
以前、塩沢宿(南魚沼市塩沢)の長恩寺にある、雲蝶作の大看板を私、見学できたことがありました。
 
その大看板。実に面白いのです。

一人目の男、まずは石川雲蝶

石川雲蝶といったらこの方、中島すい子さん。
六日町観光協会主催「石川雲蝶バスツアー」専属ガイド、南魚沼雲蝶会長、『私の恋した雲蝶さま』(出版社: 現代書館)著者。

私は雲蝶のファンなんですが、中島すい子さんのファンでもあります。
以前、大看板を見学できたのは、すい子さんのバスツアー特別編に参加したからです。
 
今回、すい子さんが長恩寺の住職にお願いして、特別に取材させていただけました。

「大看板」とは?

そもそも「大看板」とは。
全容が、当時の印刷物で残っています。
(青木酒造株式会社所蔵。店舗に展示中)

「薄荷円(はっかえん)」をPRするための看板です。
塩沢宿では昔、塩沢薄荷の生産と商いをしていました。
薄荷の茎を加工して固まった物が薄荷円で、固まらない物が薄荷油。
鎮痛・健胃のための飲用、頭痛・歯痛時の湿布、夏季の清涼に用いました。

印刷物を見てみましょう。
紙面の右側には「御目印、けやき立かんばんの図」と書いてあり、看板には「官許、薄荷円、文鳥堂」とあります。
左側には「諸方お客様方のおひいきをもって、私方薄荷円、日に増し繁盛仕り、有難き仕合せに存じ奉り候・・・」と続きます。
末尾にある「平野屋源左衛門」というのは、屋号と当主の名前です。
青木酒造というのは会社名であって、町内では「平野屋さん」と呼ぶのだそう。
 
なんと高さ9メートルもあったそうです。まさに「大」看板。

では、なぜ商家でなく、お寺に残っているのでしょう?

なぜ、お寺に看板が?

長恩寺は『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』の著者、
鈴木牧之(ぼくし。明和7年/1770年~天保13年/1842年)の菩提寺。

安政4年(1857年)「物産取調書上帳」によると、薄荷円の売上高は、いなりや120両、平野や100両、高田や70両、鈴木70両、大塚40両…、とのこと。(『塩沢町史』参照)
 
牧之の生家、鈴木家では商いをしており、それで薄荷円の大看板を作ったのです。
『越後の名匠 石川雲蝶』(著者:木原尚)によると、「鈴木家の依頼により嘉永7年(1854年)看板製作か」とあります。
 
明治18年(1885年)の街道取締規則によって立て看板が禁じられ、同著によると、「明治23年(1890年)長恩寺位牌堂改修、看板を堂内の飾りにする」とあります。

こちらが、非公開の大看板!!

長恩寺の堂内に入り、ため息をつくすい子さん
「なんとすごい位牌堂。このように豪華な位牌堂は、他で見たことがない。
塩沢宿の全盛期、繁栄していた歴史が残っているんですね。」
位牌堂の入り口には、雲蝶制作の大看板、
持送(看板を支える下の部分)の彫刻が左右に飾ってあります。
すい子さんによると、中国・漢の時代の故事「黄石と張良」が題材とのこと。
左側、馬に乗る老人・黄石公がクツを脱ぎ捨て、
右側、後に高名な将軍となる張良がクツを拾い差し出す場面。

雲蝶が彫る馬は、どれも瞬間的な場面を表現していて、
止まっているものは無く、躍動感があります。
黄石公の裸足は爪まで彫ってあります。豪快な一方で、この繊細さ。
普通の彫物師は、ここまでしません。
龍の眼にはギヤマン(ガラス)が使ってあります。
雲蝶が彫ると、龍が魂を持って恐ろしいものとなる。
迫力ある表現にかけては一番、力量を持つ人だったと思います。
これが本当に、木でできているのか…。
裏面を見ると単なる板で「あ、やっぱり木だったんだ」と思う。
あらためて雲蝶の凄さを感じます。他には無いレベル。圧倒される。
絶賛する、すい子さん。私も息をのみました。

二人目の男、小林源太郎

江戸時代、参勤交代も通った三国街道・塩沢宿。
今は観光客が景観を楽しめる「牧之通り」となっています。
交差点、すぐの所に青木酒造があります。
日本酒「鶴齢(かくれい)」で知られる蔵元です。
見上げると、見事な、龍の装飾の看板。

雲蝶と同時代の彫刻家、小林源太郎の作品です。
 
源太郎は寛政11年(1799年)、武州(現在の埼玉県)生まれ。
別名で熊谷源太郎とも、長谷川源太郎ともいわれます。
源太郎が雲蝶より15才ほど年上でした。
ふたりは越後で、たくさんの仕事をしました。
 
実は、これも大看板の一部。
平野屋(現在の青木酒造)の大看板も、解体して残っているのです。
店内に入ると、店頭に飾ってある持送。
実際に建っていたときのように、裏表を合わせてあるのがすごい。
大変な重さなので、柱がだいぶ頑丈でなくてはならなかったそうです。

そして、またすごいのは、請負書があることなのです。
古文書の所在は不明ですが(平野屋の蔵でしょうか)、内容は『塩沢町史』に掲載されています。
「余事細工受負ノ事、看板、同台座、持送り、妻梁、唐破風(からはふ)、号天井(ごうてんじょう)、…」
代金は20両でした。
「請負書っていうのが、生真面目な源太郎らしい。雲蝶が残しているのは、借用書だけだから」と笑う、すい子さん。
「源太郎の彫刻は、まことに詳細で、時間をかけて丁寧に彫ってある。だから、眺めていて飽きがこない。正統派の彫り物師。
一方の雲蝶は、これでもかこれでもかと豪快に彫って行く。
同じ重箱の中に収めて彫りなさいと言われたら、源太郎はキチンと収めるタイプ。雲蝶は、はみ出るタイプ。正反対ね」とのことです。
店内には、解体された小さなサイズの彫り物も飾ってあります。
当初、号天井の龍は9つあったものの、気前よく人にあげてしまって、今残っている数はわずかとのこと。
号天井自体と「薄荷円」の看板部分は、蔵に保管してあるそうです。
奥には石の台座も保管してあります。
こちらは公開スペースではありませんが、お店の人に声をかければ見学できます。

「あとは、この赤い屋根の部分があれば大体そろうんですね。
残っていないんですかねえ」と私。
なんと、すい子さんは、その所在を探し、取材したのだそうです。
非公開を約束したので、詳細は言えないということでした。
 
「しかし9メートルとは…!ちょっと信じられないですね」と私。
古写真を見せていただき、許可を得て加工しました。
店頭に立つ男性が160センチ(持送の大きさで比較)として、5人分で約8メートル。
「江戸時代の街道にこれが建っていたと想像してみてくださいよ、すごいインパクトですよ」と、すい子さん。

いまも薄荷油が購入できます

薄荷油は、1ビン10mlを990円(税込)で販売しています。
(塩沢で加工製造された物ではありません)
虫よけ、芳香剤、眠気覚ましなど、様々な用途があるようです。
私もマスクにつけて、さわやかな香りを楽しんでいます。

「やっぱり鶴齢は美味しいのよね」と、すい子さん

地元では鶴齢ファンの人が多く、すい子さんも「特に鶴齢の生酒が好きなのよ」とのこと。
11,550円と値段のついた大吟醸を見つけ、「飲んでみたいけど、ちょっと買えないわあ」と嘆くすい子さんに、「180mlなら1,019円ですよ」すすめる店員さん。
早速、お買い上げでした。(価格は税込)
紫外線等から劣化を防ぐため、新聞紙で包んでくれます。
青木酒造株式会社

青木酒造株式会社

住所:南魚沼市塩沢1214
電話:025‐782-0012
営業時間:午前10時~午後4時
定休:水曜日

散策も楽しい塩沢宿

青木酒造から少し北方面の並びにある「中島屋」。
海産物問屋の家が、案内所として開放されています。
 
撮影時、女将の真知子さんが、ひな人形の片づけ中で、「これから始まる、武者人形かざりも、ぜひみなさんに見ていただきたい。」と話していました。
 
武者人形かざり 開催:4月17日(土)~6月5日(土)
https://niigata-kankou.or.jp/spot/11915
中島屋の向かいにある「OHGIYA CAFÉ(オーギヤ カフェ)」でランチ。
居心地のよい店内。
ランチはサンド3種類と軽食ワッフル(各770円/税込)。
私はサラダドリンクセット(プラス600円/税込)にして、ワッフル、雪男サイダーをチョイス。
ゆったりと美味しいランチを楽しめました。
OHGIYA CAFÉ

OHGIYA CAFÉ

住所:南魚沼市塩沢181‐1
電話:025‐775-7701
営業時間:午前11時30分~午後5時
(ラストオーダー4時30分)
定休:火曜日・水曜日

三人目の男、吉澤仁太郎

長恩寺の看板を見たのが、平成29年(2017年)でした。
翌年、長岡市の摂田屋「機那サフラン酒本舗」にも大看板があると知り、見学に行っていました。今回の取材で、摂田屋を再訪。
「機那サフラン酒本舗」は、吉澤仁太郎(文久3年/1863年~昭和16年/1941年)が一代で築き上げた蔵屋敷です。
明治25年(1892年)に薬酒として「機那サフラン酒」を商標登録し、ウィスキーやワインも手がけ、巨万の富を得た実業家。
主屋、離れ屋敷、鏝絵の蔵(国の登録有形文化財)、衣装蔵、庭園は、土日祝日に限り、ボランティアスタッフのガイドによる見学ができます。

ここにもかつて、大看板が

正門の脇に、かつて高さ12メートルの大看板が建っていました。
撮影年代は不明。平成10年(1998年)に倒伏してしまいました。

構造は塩沢宿の大看板と、非常に似ています。
何か塩沢宿とのつながりが、あるのでしょうか?
「保存を願う市民の会」事務局長の平沢さんにお聞きしました。
 
「仁太郎は、塩沢宿の大看板を参考にしたと思う」と平沢さん。
面白い物が残っていると見せてくれました。
 
あれっ、これも平野屋の印刷物と似ています。
 
商品名は「小児消疳丸(しょうにしょうかんがん)」。吉澤でなく「小林仁太郎」となっています。
平沢さんによると、仁太郎は明治12(1879年)、16才の頃、摂田屋村の小林重太郎家に養子入籍したそうです。
(生まれは定明村の農家の次男)
明治15年(1882年)、18才で薬種屋寺田幸七商店に就職しました。
「小児消疳丸」は、小児の神経症(夜泣きやひきつけ)のための薬でした。
「仁太郎が、いくつくらいの時に描いたんですかね?」と私。
(本人が描いたのか確証は無いとのこと。)
明治24年(1891年)、28才で養子縁組を解消し吉澤姓に戻したので、18才から29才までの間に描かれたのは間違いないようです。
 
しかし、なんのために…。
このような大看板、そうそう作られるものではなく、実際には作られていないはずです。
 
「仁太郎は、塩沢宿の大看板を見て、憧れたんだと思う。20代の若き仁太郎が、いつかは自分も、あのような大看板を…と考えて、描いたものじゃないかと思う」と平沢さんは話しました。
 
摂田屋には旧三国街道が通っているので、関東への行商では、必ず塩沢宿を通ったはずです。
まだ商売を始めたばかりの仁太郎がどんな気持ちで、壮麗な、鈴木家と平野屋の大看板を見上げたのでしょう。
「機那サフラン酒」の販売が成功し、
仁太郎が大看板を立てたのが明治44年(1911年)、48才の頃。
大看板は現在、主屋の奥に保管されています。
非公開ですが、特別に見学させていただきました。
倒伏した後は地面に倒れたまま雨ざらしの状態だったので、もったいないということで、ある個人の手に渡りました。
しかし、その後、保存会による募金活動などで買い戻し、修復されました。
できるだけそのままの状態を残し、腐食が激しい部分を補強したそうです。
 
今年1月、保存会が長岡市に寄付しており、平沢さんによると「いずれ、出番を待っている状態」とのことです。
平成24年(2012年)には、アオーレ長岡のオープンに伴って、5カ月間、展示されたんだそうです。圧巻だったでしょうね。
 
かつては、街道沿い・道路沿いに建っていた大看板が、いろいろな形で残っている現在。
これからも永く大切に、残って行きますよう。

こんな立派な駐車場が…!

昨年秋には「摂田屋6番街 発酵ミュージアム・米蔵」が新設されました。
無料駐車場やトイレもできていました。

前回に来た時は、数台停められるくらいの空き地しかなくて、運転が下手な私は、冷や汗をかいて駐車しました。
今回、駐車場を見て思わず「すごーい!別世界」と感嘆。
実は取材前日も「駐車場…」と悩んでいたのですが、思い切って車で来てよかった。
 
でも、電車で来て、宮内駅前の青島食堂でラーメン食べるのもよいかもとも思ったりして。
また来たいと思いながら、摂田屋を後にしました。

注:摂田屋6番街発酵ミュージアム・米蔵さんは、新型ウィルス感染症拡大に伴い、令和3年5月17日(月)~31日(月)まで臨時休館となります。
摂田屋6番街 発酵ミュージアム・米蔵

摂田屋6番街 発酵ミュージアム・米蔵

(「機那サフラン酒本舗」お問合せ先)
住所:長岡市摂田屋4丁目6番33号
電話:0258‐86-8545
営業時間:午前9~午後5時
定休:火曜日(祝日の場合翌日休館)

この記事を書いた人
shibago(シバゴー)

南魚沼市在住。趣味は写真撮影と読書で、本で調べた所へ行って写真を撮ることをライフワークとしています。神社彫刻が好きで、幕末の彫刻家・石川雲蝶と小林源太郎、「雲蝶のストーカー」を公言する中島すい子さんのファン。地域の郷土史研究家・細矢菊治さんや、地元を撮影した写真家・中俣正義さん、高橋藤雄さんのファンでもあります。