日本庭園と伝統建築が集中する「にいがた庭園街道」で県北の観光を盛り上げる/村上市・新発田市ほか
「にいがた庭園街道ネットワーク」代表。株式会社きっかわ代表取締役社長。商社勤務を経て、家業である「千年鮭 きっかわ」15代目当主に。村上の町と文化を守るため、1998年に「村上町屋商人会」を結成し、「町屋の人形さま巡り」を開催する。その後、「黒塀プロジェクト」、「町屋再生プロジェクト」などに取り組む。2004年に国土交通省より観光カリスマに認定。2019年3月、「にいがた庭園街道ネットワーク」を設立。
「にいがた庭園街道ネットワーク」事務局長。1967年に国鉄入社、38年間にわたり国鉄とJR東日本の鉄道事業に従事。2001~2005年は村上駅長として勤務。SL復活運行、東京駅での「おしゃぎり」展示、瀬波温泉と村上地域の連携推進など村上の町おこしに尽力する。退職後はボランティア活動に従事。「にいがた庭園街道ネットワーク」の立ち上げと運営に携わる。
(吉川)
大学卒業後、商社勤務を経て、1990年に村上に戻り、家業を継ぎました。「村上の鮭文化は日本一だ。守り続けなければいけない」とひとり頑張っていた父の背中を見て育ち、父を助けたいという思いだけで帰ってきました。
村上の鮭料理には千年の歴史があり、百種類もの鮭料理が今に伝えられています。鮭の命に感謝しながら内臓、骨、頭、皮、エラに至るまでのすべてを大切に頂戴する、慈しみにあふれた食文化です。
「千年鮭 きっかわ」の鮭料理は、一からダシを取り、天然の素材だけを使って手間暇かけて手づくりをしたもの。防腐剤などの添加物や化学調味料はもちろん、酵母エキスなども一切使わず、発酵や熟成によって生み出される日本の古来の食の素晴らしさを守り続けています。
(吉川)
村上市では道路を拡張し町を近代化する計画が進んでいたのですが、「城下町の古いこの街並みにこそ価値がある。その価値を活かして、元気を失っている町をなんとか活性化させたい」という気持ちを原動力に、村上に伝わる町屋の文化を守る活動を始めました。
まずは町屋の生活空間を公開しようと「村上町屋商人(あきんど)会」を結成し、MAPを作成したのが最初の取組みです。そして、さらに町屋に光を当てるために「町屋の人形さま巡り」や「町屋の屏風まつり」といったイベントを企画しました。
「町屋の人形さま巡り」は、旧町人町に点在する60軒の町屋を舞台に、各家が大切にしている「人形さま」を飾り、早春のまち歩きを楽しみながら「人形さま」や普段は立ち入る機会の少ない町屋の生活空間を見学してもらおうという取組みです。
どうしても成功させたかったので、東京のNHK本社まで出かけ、「村上の町全体が美術館に変わります。ぜひ取り上げてください」と『日曜美術館』の担当デスクに直談判したところ、紹介していただくことができて、全国から大勢の観光客が村上を訪れました。外から人が来てくれて、褒められることで、地元の人たちの意識も変わっていきました。
(吉川)
春の「人形さま巡り」と秋の「屏風まつり」で多くの人が訪れるようになったのですが、村上を通年で楽しめる町にしたいと、2004年、「町屋再生プロジェクト」を立ち上げました。
1口3,000円の年会費を基金として、サッシやトタン、アーケードなどを外して昔ながらの格子に取り換えるなど、町屋の改修をスタートさせたわけです。こうして古い町屋の外観が蘇り、少しずつ魅力ある街並みが形成されていきました。このプロジェクトは、行政の補助を一切受けずに、市民から寄附を募って活動したことが大きな特徴となっています。
(吉川)
以前、テレビで県別の観光人気ランキングを紹介していたのですが、新潟はなんと38番目。「新潟の観光評価はそんなに低いのか」とショックを受けました。実際、新潟空港に降り立つ外国人観光客は、新潟を素通りして金沢や東京などへ行ってしまうことが多く、観光の魅力に乏しいと言われていた県北地域で何か魅力的な観光資源となるものはないだろうかと考え始めました。
村上市に隣接する関川村には重要文化財の渡邉邸があり、国指定名勝のみごとな庭園もあります。新発田市には清水園もあります。そうした代表的な日本庭園や大地主の館や寺院などの伝統建築をピックアップして地図上に落とし込んでいくと、それらが290号線を軸としてつながっていることに気づいたわけです。
―それが「にいがた庭園街道」の構想に?
(吉川)
新潟にはかつて豪農と呼ばれる多くの大地主が存在し、その館や庭園が今も数多く残っています。地主の中でも1,000ヘクタール以上の田畑をもつ大地主は「千町歩地主」と呼ばれました。「自分の土地だけを歩いて隣の県まで行ける」と言われたような大地主です。江戸期後半から昭和の戦前頃までにこの「千町歩地主」は全国で9軒ありましたが、そのうちの5軒が新潟県内にあり、しかも、その5軒のうち4軒がこの庭園街道に集中しているんですよ。
具体的に挙げると、伊藤家の「北方文化博物館」、田上町の田巻家の迎賓館だった「椿寿荘」、新発田市の「市島邸」、阿賀野市の齊藤家邸宅だった「孝順寺」の4つです。
街道沿いには、大地主の館以外にも大名屋敷や寺、町屋など多くの伝統建築と美しい庭園が点在しています。
「観光の魅力に乏しいと言われる新潟の県北地域に、こんなにすばらしい宝が眠っていたのか」と興奮しました。さっそく290号線を車で走ってみると、12月の冬枯れの季節でしたが、景色がまた素晴らしかった。田んぼがあって、里山があって、日本の原風景ともいうべき懐かしい風景が広がっていたんです。
―なぜこの街道沿いにそれほどの文化的資源が集中しているのでしょうか?
(平原)
背景には新潟の土地特有の問題と、その問題をなんとか乗り越えようと努力してきた先人たちの歴史があります。
「新潟」という地名が示すとおり、そもそもこのあたりは湿地帯で、昔は潟や池や沼がたくさんありました。8000年ほど前には海だったところです。こうした湿地を干拓することが新潟の大きな課題でした。かつて藩主や地主などが人々を雇い、湿地を埋め立てて干拓を進めることで、農地として活用できる土地を少しずつ広げていったわけです。
昭和30年代頃までは、胸まで泥水につかって田植えをしていました。棒を立てて、棒にしがみついて田植えをするため、ひっくり返って亡くなることもあったと聞きます。蛭がいるため腰に石灰をつけて、肌の露出を避けて作業したそうです。こうした農作業の過酷さについては、司馬遼太郎が『街道をゆく』という著書の中でも触れています。
水に苦しめられてきた新潟では干拓事業を進めました。すごい土木力が必要だったと思います。当時の幕府や藩は開墾した土地の10分の1は開墾者に渡していたので、仕事を求めて県外からも人が集まってくるようになり、明治時代には、新潟は日本でもっとも人口が多い地域になりました。人が集まることで経済も発達しました。新潟には第四銀行(現:第四北越銀行)がありますが、新潟に全国で3番目の銀行が作られた(3は当時開業に至らず欠番)のは、それだけ経済が発達した地域だったからです。
(平原)
新潟は今でこそ「米どころ」と言われていますが、昭和初期まで新潟の米は「鳥またぎ米」などといわれ、「鳥でさえ食べずに跨いでいく」ような「臭い、まずい、安い」三流の米しか採れませんでした。瀬戸内海の塩田で働く重労働の浜子たちの食用として出荷されたほかは、災害備蓄米として扱われるなど、買いたたかれていたようです。
そうした「鳥またぎ米」と揶揄された屈辱を覆すために、新潟では、「もっとも美味しいけれど、もっとも栽培が難しい」といわれたコシヒカリの栽培に挑みます。これに大成功したことによって、新潟の歴史は大きく変わりました。うまい米「コシヒカリ」の評判が一般の方々に認知されるようになったのは、わずか50年ほど前のことです。
街道沿いの山裾には古くから人が住んでいて、湿地帯だったこの地域を人々は時間をかけて干拓し、水と闘いながらも一方では水の恩恵も受けて、豊かな実りをもたらす大地へと変えてきました。その闘いの中で大地主が生まれ、日本庭園や伝統建築が今も往時の姿を伝えているわけです。全国を見渡しても、このエリアはすごいと思いますね。
―あらためて「にいがた庭園街道」の魅力について教えてください。
(吉川)
「にいがた庭園街道」とは、ひとことで言うと、新潟県の代表的な日本庭園をはじめ、豪農や豪商の館、寺院や町屋などの伝統建築が集中している全長およそ150kmの街道です。この街道には、「日本庭園」、「伝統建築」、「日本の原風景」、「温泉」という4つの魅力が備わっています。
新潟は「庭園王国」と呼ぶにふさわしいほど、素晴らしい庭園が数多く残されています。国の名勝に指定されているところが5か所、重要文化財が4か所。京都・奈良を除けば、一つの県の中に5つも国の名勝があるのは珍しく、東日本エリアでは東京に次いで2番目です。
ひとくくりに庭園といっても、京都はお寺の庭、東京はお殿様の庭、新潟は大地主、豪農の庭というかたちで成り立ちはまったく異なります。新潟には新潟独自の庭の文化があり、さらに素晴らしいことに、建物も建てた当時の状態のまま現存しているものが多く、庭園と建物の調和や一体美を楽しむことができるのですね。この庭園と建物がみごとに調和した一体美を楽しめることも、新潟の庭園の大きな特徴となっています。
(平原)
「庭と建物が融合し自然と調和する境地」という意味で、つまり「庭と建物、座敷の調和がとれて一体となった状態」をいいます。庭と建物が融合し、自然と調和する生活空間には、「人と自然は分かちがたくつながっている」という古くからの日本人の心情が現れています。
庭に対して広く開かれるよう壁や柱を極力少なくして、建具を開け放つと座敷と庭が一体となるように造られた座敷。とくに客間の上座から観る庭園の眺めは、一編の絵のようで、それだけでおもてなしの心に満ちています。「にいがた庭園街道」では、ぜひこの「庭園と建物の一体美」を堪能していただきたいと思いますね。
(吉川)
新発田藩主の下屋敷である「清水園」や別邸「五十公野御茶屋」、「豪農の館」と呼ばれる「北方文化博物館」や「渡邉邸」「五十嵐邸ガーデン」などは、いずれもその繁栄ぶりを今に伝えるみごとな屋敷です。
大泉池の周囲に5つの茶室が配された池泉回遊式庭園がみごと
豪農と呼ばれた地主たちは、村民を大切にしたことでも知られています。村内から優秀な子どもを集め、育英資金として学費を支給して教育を受ける機会を与えました。また、屋敷や庭園をつくる際には、完成するまでは雇い続けることを徹底し、長いところでは10年間も作業が続いたところもあります。渡邉邸などは、屋根をあえて木羽葺きにしています。木羽は数年経ったら葺替えが必要ですが、そんなふうにして仕事を作って面倒を見続ける、救民事業です。
とくに明治中期から昭和のはじめまでは、度重なる経済恐慌が起きたことにより農家の方たちが大きなダメージを受けました。それを救うために、お椀一杯の土を運んでくれたらお椀一杯分の米を与えるというように、働いてくれた分の労力に対して、きっちりと報酬を与えていたわけです。
ノブレスオブリージュなどと言いますが、かつての日本人は、強い立場の者が弱い立場の者を助ける、困っている者に対して手を差し伸べるのが当たり前で、地位のある者が社会に対する責任を負うことが日本人の美徳として備わっていたのですね。
庭園を訪れる際には、そんな地主の歴史や度量も感じながら観ていただけるとなお興味深いのではないでしょうか。
一方で、村上のように、町全体が庭園を思わせる佇まいを醸し出すところもあります。城下町である村上には、武家屋敷や寺の庭園、町屋の中庭という3種類の庭があり、違いを見比べながら歩いていただけるようになっています。江戸や明治期から続く町屋の内部は、吹き抜けの天井や囲炉裏や神棚があって、中庭とともに楽しんでいただけると思いますよ。
庭園には、大きく分けて3つの様式があります。一つめは「池泉回遊式庭園」。池の周囲にさまざまな風景を再現したり石、植栽(樹木など)、景物(灯籠、手水鉢、橋など)を配置したりして、歩き回って楽しむ庭園です。「清水園」、「市島邸」、「北方文化博物館」、「旧齋藤家別邸」などで、新潟県にはこれが多いですね。
「にいがた庭園街道」には、これら3つの様式の庭がすべてそろっています。建物に関しても、「書院造」、「茶室」、「数寄屋造」という代表的な建築のすべてを見ることができます。
庭園は、施主がお客様に喜んでいただくために、おもてなしの心をもってお見せするものです。だからこそ、建物と庭には統一性とバランスが必要になります。「にいがた庭園街道」で、ぜひこうした日本文化の真髄を見ていただきたいと思います。
―海外からの観光客にも喜んでいただけそうですね。
「にいがた庭園街道」では、海外の方を招いたモニターツアーを7回行いました。そこで得られた評価は、「庭園街道にはストーリー性がある」というものと、「まだ知られていない手つかずの観光資源がある」というものでした。
「北方文化博物館」へご案内した際には、ツアーに参加した海外の方が茶室に入ったまま動かず、40分以上も静かに座っていられたこともありました。また、そこでは作事(さくじ)といって庭を管理する常雇いの職人がいるのですが、その作業小屋を見せてもらうと、裸電球が一つしかない。作事たちは、日が昇ってから日が暮れるまで太陽の下で働くだけなので、電気は必要ないのだそうですが、それを聞いた観光客の方が感動して、その話がいちばん印象に残ったと話していました。通じるものがあるのですね。
―全長150kmの街道ですが、どんな楽しみ方がおすすめでしょうか。
街道を車で走ってみていただくと、里山、棚田、水田、集落、山々など、懐かしい日本の原風景に出会うことができます。四季折々に変化する景色は本当に美しいので、ぜひ見ていただきたいですね。
多くの庭園では専門知識を備えたガイドが常駐していますし、庭園や建物を造った施主の想いや歴史などを聞くことができます。こうした機会を利用していただくことで、なおいっそう庭園や日本文化への興味も深まるのではないでしょうか。
そして、なんといっても温泉が多くありますので、新鮮な山海の幸を楽しみ、ゆったりとお湯につかって旅の疲れを癒していただけたらと思います。
にいがた庭園街道ネットワーク事務局/村上商工会議所
村上市小町4-10
0254-53-4257
E-mail:cci@mu-cci.or.jp
北方文化博物館
新潟市江南区沢海2-15-25
025-385-2001
入館料/大人800円、高校・大学生及び70歳以上700円、小・中学生400円(日曜・祝日は無料)
開館時間/4~11月9:00~17:00、12~3月9:00~16:30
休館日/2024年4月より毎週火曜 ※祝日の場合は翌日(4,5,10,11月は無休)
椿寿荘
南蒲原郡田上町田上丁2402-8
0256-57-2040
入館料/一般400円、小・中学生300円
休館日/毎週水曜(10~11月無休)、12月28日~1月5日
開館時間/9:00~16:00
市島邸
新発田市天王1563
0254-32-2555
入館料/一般620円、小・中学生310円
休館日/水曜(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
開館時間/9:00~17:00(4~11月)、9:00~16:30(12~3月)
旧齋藤家別邸
新潟市中央区西大畑町576番地
025-210-8350
入館料/一般300円、小・中学生100円
休館日/毎週月曜(休日の場合は開館し、翌日休館)、祝休日の翌日、年末年始、その他臨時休館あり
開館時間/9:30~18:00(4~9月)、9:30~17:00(10~3月)
清水園
新発田市大栄町7-9-32
0254-22-2659
入園料/大人700円、高校・大学生及び70歳以上600円、小・中学生300円
開園時間/3~10月 9:00~17:00、11~2月 9:00~16:30
休園日/2024年4月より毎週火曜(祝日の場合は翌日)、及び年末
但し4、5、10、11月は無休