高田城址公園
高田城址公園は、徳川家康の六男・松平忠輝公の居城として築城された高田城の跡に整備された公園で、全体が...
西福寺(開山堂)
室町時代後期、1534年に開かれた赤城山西福寺。多くの人をひきつける理由は、本堂の隣に位置する開山堂...
新発田城・新発田城址公園
「表門」「旧二ノ丸隅櫓」は当時のままの姿で残され、国の重要文化財に指定されています。 また、実...
国指定重要文化財「萬代橋(ばんだいばし)」
日本一の大河「信濃川」に架かる萬代橋は、新潟市の発展とともにあゆみ続け、いつの時代も街のシンボルとし...
史跡 佐渡金山
佐渡金銀山400年の歴史を伝える史跡。江戸金山絵巻(宗太夫坑)コースでは、人形を使って当時の採掘作業...
新潟市歴史博物館みなとぴあ
平成16年3月、信濃川のほとりに誕生した歴史博物館。「郷土の水と人々のあゆみ」をテーマとした展示や体...
北沢浮遊選鉱場
相川の北沢地区には発電所やシックナーなど鉱山の近代化に貢献した施設群(国の史跡)が密集しています。も...
坂戸山
坂戸城跡は、戦国時代は上田長尾家の居城。のちに直江山城守兼続となる樋口与六兼続は、永禄三年(1560...
村上城跡
村上城は、標高135mの臥牛山(がぎゅうさん)に築かれた城で、築城年代は不明ですが、16世紀前期には...
目黒邸
寛政9年(1797年)に建築された目黒家は、代々小出須原郷の割元庄屋を勤めた豪農の生活を偲ばせるに足...
歴史をめぐる(胎内市観光ボランティアガイド)
「今昔物語」や「奥の細道」に登場した越後の古刹・乙宝寺に伝わる伝説をご案内します。
五合庵
寛政5年(1793)、各地での厳しい修行を終え、越後に戻った良寛40才の頃から約20年過ごした庵。 ...
里山をめぐる(胎内市観光ボランティアガイド)
伊東道右衛門の碑
長岡城の落城の日、62歳の長岡藩大砲隊長・伊東道右衛門が壮絶な死を遂げた。この老武士は、『槍刀製作考...
小栗山木喰観音堂
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、当面の間、17日の開帳日および牛の角突き開催日のみの拝観とな...
重文若林家住宅
この建物は、東西と南北に棟をもつ曲り屋造りといわれている茅葺平屋建です。部屋割などが細かく、侍屋敷ら...
石動神社
石段を上ること400段、遠く弥彦山が望まれる山頂にある石動神社は、地元の人からは「吉野屋の権現様」と...
飯塚邸(秋幸苑と行在所)
史跡・飯塚邸は、この地域の大地主として地域経営に貢献した飯塚家の邸宅であった後、2001年に柏崎市に...
平林城跡
中世小泉庄(岩船郡全域)南部によった色部氏の築城で、平野を望む台地端に居所兼政庁の館をかまえ、館跡は...
慈眼寺
慶応4年5月2日長岡藩家老河井継之助が藩主の歎願書を持参、西軍の軍監岩村精一郎と講和談判を行った場所...
乙子神社草庵
良寛ゆかりの地国上山の麓にある乙子神社の社務所。 文化13(1816)年。良寛さまが59歳の頃、五...
番神堂
日蓮宗妙行寺の境外仏堂で、文永11(1274)年に佐渡から赦免の折、日蓮上人が三十番神の霊を請じ迎え...
新潟市文化財 旧小澤家住宅
江戸時代後期から新潟町で活躍していた商家・小澤家の店舗兼住宅。 かつての新潟町における町家の典型例...
大泉寺
大泉寺は、日本海を見おろす海抜200メートルの山上にあり、朱鳥元(686)年、泰澄(たいちょう)禅師...
西奈弥羽黒神社
一般的には略して羽黒神社と呼んでいます。祭神は奈津比売命(なつめのみこと)・倉稲魂命(うがのみたまの...
朝日山古戦場
北越戊辰戦争時、新政府軍岩村精一郎と長岡藩河井継之助の会談が決裂し、戦争は激化していきました。死闘が...
閻魔堂
山号を、金砂山円光寺閻魔堂(えんまどう)といい、今日では「えんま市のお堂」として親しまれています。 ...
木造愛染明王坐像
妙高寺のご本尊である愛染明王は、檜材の寄木造りで鎌倉時代後期の作。獅子冠をいただき、髪を逆立て、三眼...
国指定史跡 古津八幡山遺跡
古津八幡山遺跡は弥生時代の大規模な高地性環濠集落です。古墳時代には新潟県内最大の円墳である古津八幡山...
城の山古墳
城の山古墳とは昔から「ひとかご山・大塚山」と呼ばれてきた謎の小山です。 今からおよそ1,700年前...
本間家能舞台
佐渡の能の中心的地位を保ち、当代で18代目に至る佐渡宝生流家元の本間家は、能の普及と庶民化に多大な影...
牛の角突き(小千谷・山古志)
「牛の角突き」は1000年以上の歴史を持ち、地域の伝統行事として国から重要無形民俗文化財の指定を受...
長岡城址 二の丸跡
「苧引形兜城」(おびきがたかぶとじょう)と称された長岡城は天守閣はありませんでしたが、「御三階(おさ...
木造地蔵菩薩半跏像(子育延命地蔵尊)
茂林寺に安置されているこの像は昔から「子育延命地蔵尊」として人々の信仰を集めてきました。その芸術性...
坂口安吾の文学碑
「あちらこちら命がけ」 安吾直筆の色紙からとったもので、安吾の文学精神や生き方を端的に表していま...
米納津隕石落下地記念碑
天保8(1837)年6 月11 日(旧暦。西暦で7 月13 日)の夕方、米納津隕石は蒲原郡富永村(現...
小鷹宮境内地
奥山荘を分割した文書に、荘園の境の目印として出てくる。 小丘上にある湯殿山碑がそれを示す牓示石とい...
悠久山招魂社
軍事総督・河井継之助や大隊長・山本帯刀をはじめ、北越戊辰戦争の戦死者300余名と、西南戦争で殉職した...
松尾芭蕉句碑
元禄2年(1689年)7月1日、松尾芭蕉は奥の細道で乙宝寺を参拝いたしました。 当時より桜の名所と...
貞心尼