良寛さんゆかりの地 出雲崎を訪ねる その一/出雲崎町
2023年09月30日
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こんにちは。長岡・柏崎地域振興局★ふらっと旅を楽しみ隊の智彦です。
「良寛さんゆかりの地」を訪ねる旅は、前回(3月)の与板に引き続き、今回は良寛さん生誕の地・出雲崎(いずもざき)です。
今回も与板と同様、『良寛たずね道 八十八ケ所巡り』を参考に、出雲崎の町を歩きながら良寛の足跡を訪ね、さらに出雲崎の今の魅力を探ることにしました。(なお、以後は基本「良寛」と呼ばせてもらいます。)
ちなみに出雲崎は、江戸幕府の直轄地「天領」として栄え、北前船も寄港して人や物が賑やかに行き交った北国街道の宿場町。ここで生まれ育った良寛の原点があると言われています。
「与板の旅」はこちら
良寛さんゆかりの地 与板を訪ねる その一/長岡市
良寛さんゆかりの地 与板を訪ねる その二/長岡市
今回の旅のスケジュールはこちらです。
「良寛さんゆかりの地」を訪ねる旅は、前回(3月)の与板に引き続き、今回は良寛さん生誕の地・出雲崎(いずもざき)です。
今回も与板と同様、『良寛たずね道 八十八ケ所巡り』を参考に、出雲崎の町を歩きながら良寛の足跡を訪ね、さらに出雲崎の今の魅力を探ることにしました。(なお、以後は基本「良寛」と呼ばせてもらいます。)
ちなみに出雲崎は、江戸幕府の直轄地「天領」として栄え、北前船も寄港して人や物が賑やかに行き交った北国街道の宿場町。ここで生まれ育った良寛の原点があると言われています。
「与板の旅」はこちら
良寛さんゆかりの地 与板を訪ねる その一/長岡市
良寛さんゆかりの地 与板を訪ねる その二/長岡市
今回の旅のスケジュールはこちらです。
長岡駅から出雲崎方面行きのバスに乗りました。
1時間弱で良寛記念館入口に到着。看板に従い、門をくぐって良寛記念館に向かいます。
手毬を持った良寛が出迎えてくれます。
手毬を持った良寛が出迎えてくれます。
良寛記念館
近代建築の巨匠・谷口吉郎(たにぐち・よしろう)博士の設計により、1965年(昭和40年)に開館した良寛記念館。
平成28年には国登録有形文化財にも登録されています。
平成28年には国登録有形文化財にも登録されています。
中学生から大人まで含めた県民各層からの寄付により建設された記念館、展示品は佐藤耐雪(さとう・たいせつ)氏から寄贈されたものがほとんどで、敷地には佐藤氏の顕彰碑や五合庵(ごごうあん)を模した「耐雪庵」も建っています。
庭の池では錦鯉もスーイスイ。
記念館を見学する前に、館長で学芸員の永寶卓(ながとみ・たかし)さんにお話を伺いました。
とても珍しい苗字の永寶さんは柏崎のご出身。
記念館に約8年間務め、今ではすっかり良寛の書の魅力に引き込まれているとのことです。展示室の空間が良寛の作品とマッチしていることも永寶さんのお気に入りです。
記念館に約8年間務め、今ではすっかり良寛の書の魅力に引き込まれているとのことです。展示室の空間が良寛の作品とマッチしていることも永寶さんのお気に入りです。
入館者数は、良寛ブームのピーク時には年間10万人を数えましたが、近年では新型コロナウイルスの感染拡大などもあり、年間1万人前後とのこと。ただ、良寛ファンは根強く、関東を中心に全国から幅広い年齢層の方々が訪れるそうです。
記念館の海側も素敵な景色です。
記念館の海側も素敵な景色です。
取材時開催されていた、「蒐(あつ)められた良寛さま展Ⅱ」は、良寛を敬慕してやまない古美術蒐集家による発信型の展覧会で、新発見・初公開の良寛遺墨14点や、国宝・重要文化財級の仏教経典・資料を含む特別展(10/1まで)で、バラエティに富んだ作品を楽しむことができました。
最初は良寛の書の巧みさがよくわからなかったという永寶さんですが、今では空間を把握する力がずば抜けている、文字と文字の感覚が絶妙で、かつとてもゆったり書かれていると感じるようになったそうです。
また、言い伝えでは、良寛は体全体でゆっくりと書いていたため、書くのが日本一遅いとも言われていたそうです。ある書家は一文字の中で何回も軌道修正していると感心していたとのこと。
また、言い伝えでは、良寛は体全体でゆっくりと書いていたため、書くのが日本一遅いとも言われていたそうです。ある書家は一文字の中で何回も軌道修正していると感心していたとのこと。
海外の書の先生は、書簡が一番美しいと言っておられたそうです。
相手にわかるよう読みやすい文字で書かれているからなのでしょう、と永寶さん。
相手にわかるよう読みやすい文字で書かれているからなのでしょう、と永寶さん。
「ひふみ歌」も初公開ですが、お客さんが置いて行った手紙の内容を知りたいという仲居さんに読み書きを教えるために書いたものと伝えられているそうです。
良寛の優しい人柄がうかがえる作品ですね。
良寛の優しい人柄がうかがえる作品ですね。
展示されている良寛の遺墨や画壇の巨匠による絵画等を通して、良寛がこれほどまでに多くの人たちに親しまれる理由が少しわかったような気がします。
永寶館長さんはじめ記念館の皆さん、どうもありがとうございました。
永寶館長さんはじめ記念館の皆さん、どうもありがとうございました。
良寛記念館
新潟県三島郡出雲崎町米田1番地
TEL :0258-78-2370
開館時間 :AM9:00~PM5:00
休館日 :4月~10月 休館日なし
11月~3月 毎週水曜日は休館(祝日の場合は翌日)
年末年始 12月29日~1月3日
良寛さまお菓子本舗 大黒屋
次に訪ねたのは、良寛が求めた和菓子「白雪糕(はくせつこう)」を再現した菓子屋の「良寛さまお菓子本舗 大黒屋(だいこくや)」さんです。
大黒屋さんは1880年(明治13年)の創業。その後大正時代に尋常小学校の著名な先生から"良寛さまのお菓子作り"を勧められ、先々代が「なべぶたらくがん」というお菓子を作り始めました。さらに昭和5年に良寛100年忌の法事の手土産として白雪糕を作ったとのことです。
店主の小黒淳(おぐろ・じゅん)さんです。店の名前は「大黒屋」で、姓は「小黒」なんですね。
先々代は佐藤耐雪先生の手足となって活躍。先代、つまり淳さんのお父様である孝一(こういち)さんは、良寛記念館の常務理事も務めたこともあり、歴史的な知識が豊富で、かつては20人ぐらいの団体さんがこの店を訪れ、お父様の話を聞いてお菓子を買って帰るといったこともあったようです。
先般お亡くなりになった俳人の黒田杏子(くろだ・ももこ)先生もこの家にお泊まりになったことがあるそうです。
そうそう、小黒さんも「小黒大(おぐろ・だい)」という俳号を持つ俳人。三代にわたり俳句に親しんでいるのです。
白雪糕についてお聞きしました。
白雪糕は、お菓子というより漢方薬として伝えられ、江戸時代は水に溶いてお乳代わりに飲まれていたようです。(写真は昔の資料です。)
白雪糕を求める良寛の書簡は有名ですが、小黒さん曰く、良寛が白雪糕を所望したのは、自分が食べたかったのか、誰かへのお土産だったのかはこの手紙では定かではないが、人に渡すのだとしても、自分が好きだったからなのだろう、とのこと。
小黒さんに良寛に対する思いをお聞きしたところ、「良寛さんは、その逸話などにより、ものすごく勉強し、多方面にわたり才能を発揮したことが伝えられている。一つのジャンルで括ることができず、良寛さんを超える人はなかなかいないのではないか。」とおっしゃっていました。
「当店は菓子屋なので良寛ゆかりのお菓子を作り、販売することで、様々な人たちと一緒に良寛さんをPRし、盛り上げていきたい。」とおっしゃる小黒さん。
文芸の世界でも大いに盛り上げていただければと思います。
小黒さん、どうもありがとうございました。
大黒屋さんでは、「白雪糕」のほかにも「月の兎」や「良寛せんべい」、どら焼きなどいろいろな和菓子を製造販売しています。
私たちの年代にとっては懐かしく、優しい味ですが、若い人たちや子どもたちにとっては新鮮な味に感じられるかもしれません。「お菓子の原点」とも言える大黒屋さんの商品は、良寛記念館、天領の里、良寛の里美術館でも販売していますので、お立ち寄りの際には是非お求めください。
私たちの年代にとっては懐かしく、優しい味ですが、若い人たちや子どもたちにとっては新鮮な味に感じられるかもしれません。「お菓子の原点」とも言える大黒屋さんの商品は、良寛記念館、天領の里、良寛の里美術館でも販売していますので、お立ち寄りの際には是非お求めください。
良寛さまお菓子本舗 大黒屋
新潟県三島郡出雲崎町大字尼瀬293-1
TEL:0258-78-2101
営業:9:00~18:00
定休日:火曜日
越後出雲崎 天領の里
出雲崎の歴史を再現した時代館や石油記念館、レストラン、物産館、海上橋の「夕凪の橋」がある道の駅「越後出雲崎 天領の里」。(指定管理者:シダックス大新東ヒューマンサービス株式会社)
副支配人の立石博美(たていし・ひろみ)さんに案内していただきました。
出雲崎は江戸幕府の財政を支える佐渡金銀の荷揚げ港として、越後で初めて代官所が置かれた幕府直轄の「天領地」。その時代を再現したのが、「天領出雲崎時代館」です。
良寛は、金銀荷揚げの立合いも行う町名主の橘屋という名家の出身ですが、名主見習を務めていた18歳の頃、家のいざこざや町の権力抗争などもあって家出を決意、その後光照寺(こうしょうじ)で剃髪しました。その後、岡山から光照寺を訪れた国仙(こくせん)和尚によって出家・得度し、良寛という法号を与えられたそうです。
金銀の荷揚げをした「お奉行船」は迫力満点ですが、これでも本物の2/3スケール。この場所で、卒業する学生の「船出イベント」も行われたそうですよ。
出雲崎は北前船の寄港地で、北国(ほっこく)街道・三国(みくに)街道の宿場町でした。江戸時代の往時を再現した街並みなどが音響や照明でリアルに演出されています。
石油記念館には出雲崎ゆかりの歴史資料が展示されています。日本初の海底油田・機械掘りの貴重な資料もあります。
外に出てみると、縁結びの橋とも言われる「夕凪(ゆうなぎ)の橋」がありました。絶好の夕日スポットでもあります。
海を見ている少年の像が目に入りました。
子どもの頃の良寛、栄蔵(えいぞう)少年です。
8歳か9歳の頃、父に叱られた栄蔵は上目で父をにらんでしまったそうです。その時父から「親をにらむ者はカレイになる」と言われ、栄蔵は家を飛び出しました。日が暮れても帰ってこない栄蔵を心配した母があちこち探したところ、岩の上でしょんぼりと座っている栄蔵を見つけました。こんなところで何をしているのか尋ねられた栄蔵少年、「私はまだカレイになっていませんか」と答えたそうです。子どもの頃から感受性が豊かだったんですねえ。
出雲崎での良寛の逸話はこのほかにも「灯籠の下で読書」などもあります。良寛の逸話については『良寛いつわ ~良寛さんってどんな人』を是非ご覧ください。
8歳か9歳の頃、父に叱られた栄蔵は上目で父をにらんでしまったそうです。その時父から「親をにらむ者はカレイになる」と言われ、栄蔵は家を飛び出しました。日が暮れても帰ってこない栄蔵を心配した母があちこち探したところ、岩の上でしょんぼりと座っている栄蔵を見つけました。こんなところで何をしているのか尋ねられた栄蔵少年、「私はまだカレイになっていませんか」と答えたそうです。子どもの頃から感受性が豊かだったんですねえ。
出雲崎での良寛の逸話はこのほかにも「灯籠の下で読書」などもあります。良寛の逸話については『良寛いつわ ~良寛さんってどんな人』を是非ご覧ください。
近くには芭蕉師匠と思しき像も。一句浮かんだ様子。
物産館隣には、バラ園をイメージした「さざなみ」というお店が出店していました。薔薇蜂蜜を使用した「ローズ ミエル」(フランス語で「薔薇の蜂蜜」という意味)というオリジナルソフトが大変好評なんだそうです。
立石さんは他の地域から移住してこられたそうですが、出雲崎はコミュニティの中で協力し合っていくことができる、人とのつながりを実感できる町だとおっしゃっていたのが印象的でした。
立石さん、どうもありがとうございました。
越後出雲崎 天領の里
新潟県三島郡出雲崎町尼瀬6−57
Tel:0258-78-4000
【営業時間】
・物産館
9時~17時
・時代館
3月下旬から11月 9時~17時(入館は16時30分まで)
12月から3月上旬 10時~16時(入館は15時30分まで)
【休館日】
11月~3月 毎週水曜日
4月~10月 毎月第一水曜日
※5月8月は無休
年末年始
この後、レストラン「陣や」でランチをいただくところですが、今回はここまで。 旅の後半は、その二に続きます。
紹介した場所
この記事を書いた人
地域で親しまれている隠れたスポットや住民ならではの贅沢な時間の過ごし方があります。
初めて訪れた方でもバスや電車でふらりと行けるプチ旅行や時間の過ごし方をレポートします。